おいりゃぁすわせ〜〜

変なタイトルですが、標準語で言えば「お出で遊ばしませ〜〜」でしょうか。 from 19-September-2005

書きたくないけれど・・・(^^♪

 最近このブログも更新が遅れに遅れています
この件に付いて書こうか書くまいか?と随分迷いましたが
やはり自分の思いを何処かに書き残すことも大切かなぁ〜と思い
些細な出来事でしたが思い切って書き込む事にしました




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この数年の間に以前の友達や知り合いの顔ぶれが少しずつ変わっています
それは何方にも言える事で環境が変われば人との関りも変わります
そんな中 途中でサークルに入ってきた人たちが有りました
サークルは女性の数が少なく男社会のイメージです
私は女性が増えてきたことで気分的に安心した面も有りました
発足以来女性は僅かに3名男女が半分ずつが理想的ですがこればかりは
思うに任せません

何のサークルか?と言えば写真教室の集まりです
これまでに亡くなった方は別として自分から辞めて行った人は有りません
毎月一度の撮影会 一度の研究会 皆さんに会えるのは月2度です
かなりの年齢になってサークルの皆さんと足並みをそろえる事は
体力的な問題もあり誰でもOKとは行きません
幸い体のどこも痛くない為同じように参加が可能です


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勿論自分の趣味として始めたカメラなので出来る限りの事は
して行きたいと思っています
或るベテラン会員さんの話では シャッターは出来る限り沢山切り
カメラに慣れる事が大切 と教えて呉れました
自分なりの画像しか出来上がりませんが趣味が何もないより
多少生き甲斐が出来てきます
そんな中 仲良くしてね!! 仲良くしてね!!と寄ってきた
女性が有りました

何時もお洒落にしていて年齢には見えない元気さです
彼女が身に着けていたネックレス 赤いペンダントトップの玉が
可愛かったので私は 褒めました 随分褒めました
すると お気に入りでしたらお作りしますよ〜と 言う返事です
最初から材料費込みで ¥*.***ですと告げました
それ程高い事も無いので作って貰う事にしました
彼女のネックレスのペントップは赤い球が20舒幣紊詫りました
見た眼とても可愛いネックレスでした


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趣味でアクセサリー作りをしていると言う彼女の娘さん
どんな感じに作って貰えるのかとても楽しみになりました
作家が作るオリジナルの蜻蛉玉は確かに高いし風合いも良いです
その作家さんの事を思えば安くて手っ取り早いアクセサリーです
日常に使うので貴金属でなくても一寸したアクセントになれば
それで良いと考えています
そんな気安さからお願いをした訳です

お気に入りでしたらお作りますよ〜と言う言葉に反応した私
その様に言われたから作って貰う事にしたまでです
高価で見栄えのするものは世の中に幾らでも有りますが一つずつ
手作りと言う事に魅力を感じた事は否めません
それはそれで良いのですが
実際に出来上がり手渡されるときに実物を見て大変驚きました
彼女が付けていた物と比較すればペンダントトップの玉が
半分くらいの大きさでしか有りません

材料費が高騰したので値段が高くなりました・・・と言います
材料費が高くなり彼女と同じ大きさのペンダントトップで有れば
私は納得したでしょうがそれが違いました
平気でその小さなペンダントトップのネックレスを差し出し
高くなった値段を平気で言いだしました
当初聞いていた値段より ¥1000も高く請求します
まぁ 請求されればその通り支払うべきと思い支払いました



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友達として付き合っていたつもりでしたが何となくこの事で
嫌な気分になりました
最初に提示する値段として 自分の手数料も込みで提示すれば
それ程値段を高くする必要も有りません
仲良くしてね〜と繰り返した言葉は何であったのかなぁ〜
僅か¥1000と言えどもビジネスでない限り取るべきでは無いと
思うのだけれど・・・
目先の現金がちらつき先が見通せない彼女

貧相なネックレスを受け取った私はその時はあまり
感じませんでしたが日が経つにつれて怒れて来ました
怒れて来た時点で私は次第に彼女への言葉が少なくなり
距離を置くようになりました
頻繁に掛かってきていた電話にも出なくなりました
メールも出しません
良い年をして 仲良くしてね〜の言葉は稚拙です
いい年をしているなら 宜しくお願いします では??


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カメラ教室の誼から親切に撮影に誘って下さる方も有りました
3人が一度に無料で入場できるチケットを持っている人からの
お誘いです もう一人入場出来るので彼女を誘いました それは
チケットの持ち主と相談の上誘ったのです
約束の日の時間に彼女は突然もう一人の人を連れてきました
それは彼女の判断だけで連れて来たのですが一人分は入場料が
必要となります 何故チケットの持ち主の了解を得なかったのか?
今もって不可解な彼女の行動でした 自分の思い通りにしたい人

チケットの持ち主は乗用車で名古屋まで迎えに来て下さいました
そんな風な事が幾度となく有りその度にもう一人の人も一緒です
撮影のためのカメラの設定やら色々教えても頂きました
愛知・岐阜・三重と一緒に撮影に出掛けました しかし有る頃から
彼女はもう一人の人と誘い合って季節ごとに色々と撮影に出掛け
研究会では同じ場所での撮影作品が出てきて??となりました
自分が人様から受けた親切な行為については知らんふり
自分たちの方面にも撮影に来ませんか?等一度も言いません

撮影に関してはお互いさまで 受けた恩は何かの形である程度は
お返しするのが普通の事かと思いますが全く意に関せずです
チケットの持ち主も余りの自分勝手に相当 お冠です
人の親切を 当たり前と考える生き方には大いに批判的な
心情を私にポツリと話してくれました
皆 大人の対応で表立っては何も発言しませんが 思い切り
人柄を観察した様で今後は 関わらない とも言います
嫌な感じですね〜



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私との会話が途絶えた事で彼女は所属の会のトップに当たる人に
sumikoさんのご機嫌が悪いので・・・と注進!!
何故自分のしたことを棚に上げてそんな事を会のトップに話すのか?
不思議で仕方有りませんでした
今年になって色々トップと話した結果 私が不機嫌な事が漸く
理由が判り納得なさいました 漸く話が繋がったようです
お互い行動や発言には注意する様にと結論付けました 
彼女の事は他からも不評が届いている事
私に話してくださいました

その様にして世の中を泳ぎ 良い顔ばかりしてその実 本音は
何も心が籠っていない そんな人から 仲良くしてね〜と
言われても仲良くする筈が有りません
会のトップからは sumikoさん 彼女の生き方が間違っている事
  教えて上げて下さい と言われましたが私にはそんな親切も
  根気も有りませんので 距離を置き付き合います と
  言いました 
僅か1000円の金額の事で心が狭いと言われそうですが それは
友達としての良心が無いので 気持ちを閉ざします

親しき中にも礼儀 と言う言葉が有りますが 友達として長く
付き合いたいと思うなら制作料は利益なしの覚悟でなければ
先の見通しは明るく有りません
娘さんが将来アクセサリー作家として暮らすためには
受け取った人が喜んで付けて呉れる事が望ましいです
私は意に反したことをされたので 一度は付けましたが
それ以来全く身に着けて居ません
約束をしても二度三度と破られて待ちぼうけ・・・

過去の金銭無しの事柄でも意外にルーズな面がある様です
教室の人達もそろそろ彼女の本性が見えてきても良さそうです
全く無言でやり過ごすことは有りません
おはようございますとか こんにちは〜 の挨拶はしています
先ほどから もう一人の人と 書き込んで居ますがそれは
サークルの男性会員です
彼は妻帯者ですが大抵の人は彼と夫婦と思い込んで居ます
あの人たち 夫婦別姓なの?と私に聞いた人も有ります


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一息入れて季節の花をご覧ください ↑ ↓

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人生は色々 生き方も色々 人様から疑問を持たれる様な
生き方は如何なものかと思いますが これも人 夫々の考えです
以上の文言をブログに書き込もうか?どうしよう?と迷いました
何も書き残さなかったら 何もかも記憶の彼方へ押しやられます
嫌な思いをしましたが 私は些細な金銭の事で人の品性の欠片の
粗末さを垣間見た様に思い 貴重な人生勉強をしました

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最近思ったこと〜(^_-)-☆

 最近の女性の体格が目覚ましく大きく立派になった事を感じます
これまで自分がそれ程背丈が低いとは思っていませんでしたが
最近は私より大きな女性が沢山いる事を感じます
恐らく170cmは有るかと思いますがとても大きく感じます
中高生も大方体格が良くなり大柄な子が多い時代です



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戦前戦後を通して今の時代は生活する環境が大きく変わりました
圧倒的に多かった畳と正座の生活足が痺れ様とそれを乗り越えるのが
日本人女性として当然の事の様に思われていました
私もそんな環境の中で育った一人です
食事の時 寛ぐとき 殆どが畳の部屋での事でしたから当然正座が
普通の事でした
膝を折り正座する文化は多分日本にしかない事と思います

考えてみればそんな中で生活すれば体の成長にも影響しかねないと
今から思えば思いつきます
私も世の中の生活スタイルが変化して行く中座敷で正座する事が
殆ど無くなり椅子に腰かける暮らしが多くなっている事に
気が付きました
正座するより遥に苦痛が有りませんので快適です

昔の女性は立ち上がる時も自然に立ち上がっていたようですが
これは日頃の立ったり座ったりの繰り返しで筋力が
強かったのかなぁ〜と思ったりしています
今では私も頑張って正座しても30分が限度の時間に思えます
落ち着いて縫物をしたりすれば殆ど終日正座しっぱなしです
昔出来たた事が今は出来ないです

正座と言えば最近ではお茶会での正座が目一杯ですね〜
私が右膝の骨折で一時不調であったことも有りお茶会へも
行かなくなりました
右膝の骨折で全く正座が出来なかったのですが2年以上かかり
漸く僅かな時間から正座が可能となったのです
色々有りますが今は殆ど正座も苦痛ではなくなり安堵しています




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今年の藤は駆け足で最盛期を迎えました ↑↑↑


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藤を撮影に出掛けた時は殆ど終わりかけて残念でした↑↑↑

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最近では茶道のお稽古に通う人もめっきり減ってきていると
聞いています華道も同じ傾向にある様です
形にとらわれる事 形式や格式を嫌う若い人も多い様です
私が育った時代はお茶 お花 裁縫 料理 は婚前のお稽古の主な事
これが一通り出来ないと恥を掻くと言う時代でもありました
今は?と言えばその様な修行みたいな事は殆どしていない様に感じます
自分で衣服を縫うと言う時代は終わったようです

社会人となって働き給料を得て自分の好みの物を幾らでも買える
時代となっているから自分で縫い上げる必要は無くなっています
職業としてファッションに携わる専門家は別として何でも出来る
女性でなくてもよい時代になってきています
女性の職業も細分化されて専門職が色濃く出されている時代です
そう言えば若い人たちの事ばかり言ってはいけませんね
私も最近では殆どが自分のサイズに合う既成の物を購入です

若い女性の体格が良くなったことを先ほどから書き込んで居ますが
10年ほど前に比べると女性の靴売り場では 26cm と言うサイズの
靴が陳列されているのを見かけます
靴のサイズも男性と変わりないほどのサイズの伸び方です
中学生のころから 24cmのサイズを購入していましたが当時は
大きなサイズと言われましたが今では普通のサイズでワイズも普通です
もう一つ婦人靴での変化はつま先が何センチもある厚底の靴の出現です

厚底の靴は殆どが若い女性で一寸だけ背丈が低い人が購入の様です
厚底の靴は確かに背丈が高くなり周りより一段と身長が高く見えます
でも一つ間違えば怪我をするのではないかと 見ていてはらはらします
脚を挫き捻挫でもしたら大変です要らぬお世話ですが止めた方が
懸命だと思いますが流行には勝てないようです
若いと言う事の特権でしょうね〜
以前はピンヒールを履いていましたが最近では殆どローヒールです



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今年も自宅の芍薬が咲きました

靴と言えば我が家は男児ばかり
二人ともかなり大きな靴のサイズです学生時代はスニーカーばかり
社会人となってからはそれなりの靴を買っているようです
次男は靴に関してはかなりお洒落な物を持っていますが長男は無関心です
婦人靴程ではないでしょうが紳士靴もそれなりの流行は有る様に感じます
健康は足元からとも言いますので靴は大切な体の一部 充分歩ける
靴選びも大切です

私の感覚としては余り値段が安い靴は買わない様にしたいと思っています
嫌になって直ぐ捨てる様なことはしたくないし充分歩きたいからです
購入時に多少は高いと思っても何年も愛用すれば愛着も湧きます
自分の体の一部なので苦痛の無い事が一番です
医師から一日5舛亙發ようにと進言されています私の健康寿命を
考えての言葉と思い 出来る限り歩くようにしています
中高年の健康度は足腰からとも言われていますので医師の言いつけは
守りたいです



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芍薬は咲き出して10年ほどになりますが毎年牡丹が先です

今年の新年度の自治会の有るあ集まりに参加をしました
聞こえてくるのは出席しなかった人たちの近況の噂話です
お歳もお歳ですからお一人で集まりに出てこれなくて当然です
お歳よりと言う年齢は95歳以上です
この冬に102歳までお一人で暮らしていらした女性が娘さんに
看取られ旅立たれてと言う事が判りました
102歳までお一人での暮らしは余程の気丈夫な方でなくては
出来ません

そこまで生きなくて もそこそこ元気に生きたいと感じました
その方は2〜3年前までは近所へ買い物にもお一人で出掛け
炊事もなさっていらしたとか
そう言えばご近所の女性と良く街中へ地下鉄で出掛けて
喫茶店巡りをしたりランチをしたりして楽しんでいらした事を
思い出しました
人生最後まで楽しんでこそ 人生なのですね


最後のフレーズ 人生最後まで楽しみたい これは
私自身の事でも有りますが今年2月15日)(テキサス州時間)午前
4:30分 長男は交通事故に遭遇し大腿部骨折 手の指骨折と
大変な事に出会ってしまいました
それで歩くことが出来なくなり今は回復段階と言う見解から
元に戻れるようにリハビリをしています
一歩間違えば私より先に逝ってしまう程の大事故その時点で
人生は無くなります

人生の終盤を自由な時間を持ち楽しむことも不可能となります
そんなことを思えば今現在はリハビリ生活で辛い思いをしていますが
何れは元の様に自力での歩行も可能です
夜間睡眠中に痛めた傷跡から
痛みが発生して眠れなくなると言います
多分毎日の厳しい訓練が実を結び回復できるものと信じています
まだ時間はかかりますが努力と忍耐の時です

この事故が原因で治療するために日本へ戻ってきていますが
彼がこの地に居る事で何時でも会いに行くことができ親としては
大きな安心材料です
この事を聞き事故の模様を知らされてから暫くは睡眠中に
夢をよく見て私が夢の中で男性らしい人に必死に話しかけて
居るのですが相手は全くの無言で す〜〜うっと 遠くへ
行ってしまいます

それが誰で有ったのか特定が出来ませんが確かに男性二人です
そんな夢を何度も見ました
息子に会い その顔を眺めては 生きていて呉れて良かった!!
と思います
私は最近精神的にも安定してきたのか夢は見なくなりました
息子も気持ちは前向きでリハビリを頑張っています
周りを見渡せば息子より遥に重い症状の人も必死にリハビリを
しています

若い女性で交通事故が原因とも聞いていますが義足で歩き
リハビリ頑張っています
言語に障害のある人も沢山います 症状に合わせてリハビリを
して回復することを目的とした専門の病院です
事故に遭った事は不運でしたが今はしっかりと休養とリハビリに
専念して企業に復帰して欲しいと願っています
九死に値する様な事を潜り抜けた生命 ご先祖に守られたことを
忘れない様に。。。



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一ヵ月以上経過して〜(@_@)

 新年1月2日に長男は中部国際空港を出発して勤務地へ
戻りました
新年になってこちらは益々寒さが増し辛い冬を過ごしています
年末クリスマス休暇を取って帰国していた息子です
帰国すれば何時も待っている会社の先輩後輩がいます
常に何処かに休暇の挨拶に出向き多忙でした



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休暇と言えども親や兄弟に逢う事は時間を遣り繰りしての
事になっています
新年には家族揃って会う事も出来ず私は年末に家族全員の顔合わせを
する様にしていました
それでも時間が不足しているのか僅か3時間ほどの時間しか
話す事が出来ません
次の予定が待っていて出掛けなくてはならないのです


でも何処からもお呼びが掛からない様な事では淋しいです
ミニ歓迎会みたいなことが息子の時間が許す限り有るのです
考えてみれば本人も家族も大変ですが今は我慢です
赴任してから満6年以上が過ぎました
自動車産業の一翼を担う企業であれば忙しい事は理解しています
長期赴任はこれで2度目になりますが1度目の時は妻も一緒でした
そこでも5年以上勤務して長女が誕生しています

若い時の苦労は体力もありそれ程気にはなりませんが
今は加齢して若い頃とは違います
長女の教育が有り一緒に連れて行くつもりでしたが
英語力の不足で高校からは受け入れが出されず止む無く日本に
残り日本人としての教育を受けて居ました
海外で誕生して幼稚園は現地の幼稚園に通っていたので
当座は聞く・話す特別不自由はしなかったと聞いています

4才6ケ月程で日本へ帰国した孫はとても綺麗な発音で私は
成る程 成る程と感慨深げにその様子を眺めて居ました
帰国して日本の幼稚園へ行く様になりましたが
息子夫婦は一ヵ月で英語をすっかり忘れて地元の方言を上手く
話す田舎の女の子になっていたと嘆きます
幼児の頃は大人が困難な英会話も見事に自分の物にしていますが
忘れる事も超一流の早さです

そんなことから息子夫婦の苦労が始まりました
カナダ人の英語教師を紹介され教えて頂く事にしてもう少し
言葉を思い出して欲しいと願っていたようです
事は思う様に行きませんね〜
完全な日本の子供になってしまって変な言葉の言い回しは
直ぐ覚えて親を落胆させます
何故カナダ人かと言えば赴任先がカナダに隣り合わせ

カナダの人と接する機会もかなり有ったように聞いています
買い物もカナダまで出かけたり色々です
当時は今の様に携帯電話も普及しておらず連絡はKDDの
国際電話に頼るしか有りませんでした
今回の赴任は家族を残して単身赴任なので私は不安が
有りました
食事の事から洗濯や買い物まで自分でしなくてはなりません



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お互いが単身赴任と留守家族で頑張った結果今年3月21日
大學の卒業式を迎える事が出来私はとても嬉しく思いました
それで日頃何もしてあげられなかった祖母として心ばかりの
お祝いの品を贈っておきました
4月からは社会人として一般企業で働きます
3月22日息子から お祝い届いた とお礼の電話が有りました
その時娘に変わる と言いましたが私は何故孫が電話に出る??
と不思議に思ったのです

?と思いながら孫とも話しました
お父さんに変わる と言って再度息子と話しました
それからが大変でした!!
実はねお母さん僕テキサスで交通事故に遭っていたんだと
淡々と話しますが何故孫が電話に出たり声が近いのかまだ
気が付かず不思議な気持ちでした
2月中旬テキサスの空港へ視察に来ていた企業の上司を送る
途中に反対車線から居眠り運転の乗用車にぶつけられ・・・



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現地時間午前4時30分と言いました
まだ夜明け ぶつかるまで身構えてどうにも避け様がなく衝突
周りには物凄い衝突音がしたと言います
周りの民家から住人達が出てきて事故の大きさに驚いたとか
誰かがレスキュー隊に連絡をしてくれレスキュー隊の人の助けで
運転席から救出されたと言います
身動き出来ず体には激痛が走り自分では何ともならなかったと
言いました

私は息子の赴任先の事については行った事も無いし全く判りません
車の運転席が日本と違い左側であること位しか理解をしていません
し若い頃赴任した頃から国際免許証は取得しています
なので普通にアメリカ国内では運転が出来る訳です
テキサスはアメリカ国内なので上司を空港へ送り届ける所でした
勤務先はメキシコ国内でメキシコでは運転を禁止されていて通勤には
現地人プロのドライバーが送迎に当たっています
息子には何の過失も無い出来事で大きな貰い事故となりました
レスキュー隊はどれ位の時間で来てくれたのか定かでは有りません

事故発生から片側3車線の道路は完全に封鎖して事故処理に
当たったと聞いています
息子は運転席で正面衝突の形で事故に遭っていますが40マイル程で
走行していたと言いました
直ぐに病院へ搬送されたそうですが暫くの間意識が途絶えて居たと
話しますがそれは衝突で負った怪我の精とも言います
男の子が痛くて痛くて何を言ったのか?何を喚いたのか不明


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3月24日次男が私を病院へ連れて行ってくれました
次男も私と同じく事故を知ったのは私と同じ日でした
2月中旬現地での出来事は留守家族には連絡が有ったそうですが
私と次男の所へは1ケ月以上経過してリハビリの為に
帰国してからの連絡でした
事故発生当時に知らせなかったのは高齢の親に心配を掛けたくない
と言う息子の配慮で有ったと理解しています

帰国しても自力で歩く事も出来ませんし階段の昇り降りも
出来ませんので仕方ありません
気を失った原因は 大腿骨骨折と衝突した時の打撲 手の指の
骨折等です
交通事故は日本も同じですが健康保険は適用されません
増して異国の医療制度は日本とは違い戸惑いもかなり有ったようです
何も知らずに居た訳ですが大変な事故に遭っていた事を知り気持ちは
揺れ動いてしまいました



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3月24日に帰国中の息子に会い事故の内容を本人から聞き出せ
また事故の記録がスマホに保存されていてその時の模様が詳細に
判りましたし跡形もない姿の事故車の記録も見せて貰いました
この状況で人は生きて居れたのか!?と言う程の酷さです
安全装置が全て働き奇跡的とも思える中で命が助かりました
激痛に耐えてまた慣れない環境の中で良く忍耐をして呉れたと
心から思いました

お母さん心配は要らないよ〜 手術は成功したし歩く為の
リハビリをするから と明るく言います
この子の強さは誰から授かったのだろう!!と感じました
健康な体を先祖から授かりそれに増して神仏のご加護が有ったと
思わずには居れません
安全装置は純日本製です
日本の技術が評価される場面でも有りました

若い子達は余り人にだけ与えられる霊魂については肯定的では
有りませんがこの事故を通して私は改めて霊魂の存在を
認めたい気持ちになりました
神様仏様 ご先祖様のご加護は確かに有ったと信じて居ます
一応現地テキサスで治療を受けて回復段階なので完全な
回復が出来る様にリハビリ専門の病院で治療しています
近所ではこの事はお隣の人には話しましたが他には
話していません

生きて帰国できた子を私の姉妹兄弟は見舞ってくれています
入れ替わり見舞いの人が絶えなくて息子も元気が出て来た様に
感じます
肉親が見舞う事は一番の見舞いかも知れません
時間を見ては私も見舞っています
赴任先に戻る時は自力で歩くことが出来る様になって元気に
仕事に戻って欲しいと思っています



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因みに居眠り運転の子は20歳
無保険でこれまでの事案から 運転はして行けない 人物として
ブラックリストに上がっている子だったようです
親の目を盗み親の車に乗り事故を起こしたのです
この子とは全く話もしなくて 氏名も判らないまま
息子とは無関係で事故処理が進んでいます
企業や警察・保険会社(企業の)は20歳の子の詳細は全て把握しています
ただ息子が個人的に係りたくないと考え相手の事を知ろうと
しなかっただけです
あの国は皆が豊かで良い暮らしをしている様に思いがちですが
事故を起こした様な人は他にも幾らも居ると聞きました

全て企業に支援をして頂き労災も適用されるようで後は
回復を待ちたいです
急激に足の筋力も低下して来ていますのでこれからが大変です
これからは助かった命を慈しみ謙虚な気持ちで働いて
欲しいと思います
息子から聞いた話で私は眠れない夜が度々となっていますが
が不摂生な人間の怖さを知った次第です

息子運転の乗用車は企業指定支給の日本車 日本車でなかったら
あちらへ行っていました



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時は過ぎて・・・(^^♪

 先回のブログの更新は・何時だったっけ?
年も明けて一寸時間が経ったら友達の女性の風引きをもらい受け
暫くの間苦戦を強いられていました
それが1月中旬の事で 直ぐ治ると思い込んで居ました
世の中それ程甘くは有りません


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風邪引きが治りかけて安心したのも束の間で再度体調不良の日が
やって来ました
季節の変わり目の体の痛み?かなぁ〜?と思って居ましたがどうも様子が
変でしくしゃみが出る鼻水が出る 頭が痛い我慢が出来ないまでも
それは苦痛が伴いました
一度は医師の診察を受けようかなぁ〜と思いましたがクリニックへ行けば
インフルエンザの人が来る筈です
本物のインフルエンザになってしまったらそれこそ困ります
温かくして安静にすることで乗り切ろうと考えました
熱も38度位でしたのでインフルエンザではなさそうと思いました


風邪引き状態でぐずぐずしていても季節は確実に春へと向かっています
2月初旬節分を迎えた頃は寒さも厳しく本当に春が待ち遠しい気持ちでした
例年に比べ寒さが体に響きかねない状態に私も気持ちは春への心だけが
空回りでした
生きている限り毎日が全く好調な日ばかりとは限りません多少の下り坂は
有っても寝付くような事は無い為自然に時間をやり過ごしています
厳しい寒さと感じてはいましたが当地区では雪は降らず安堵しました
関東地方は情報でしか知りませんが大雪で大変なご苦労で有ったようです
寒さには勝てず終日ファンヒーターのお世話になる事も度々です
それだけの暖房で済めば有り難い事です



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最近は冬のコートも昔と違い水鳥の羽毛を使用して仕立てたとても
暖かく冬場の必須アイテムとなっているダウンコート
コートの値段も幅広くて一寸高目の物も出回っています
ウールが高級品とされていた時代は去りお手頃価格で購入できる
商品も溢れんばかりに売り出しています
ダウンコートを着始めた頃はクリーニング業者に頼んで居ました
当時はダウンコートは 特殊だから と言う理由で料金は高く驚いた
記憶が思い出されます
所が暫く経過して息子の話を聞き納得しました
息子家族はダウンコートの羽毛は 水鳥の物だから普通に自宅で
洗濯しても構わないと教えてくれました

最初は一寸怖い気もしましたが駄目もとで自分で洗濯してみる事に
なりました
その頃はシルク洗い洗剤を利用していましたがその後通販でウール
シルク等が洗える洗剤を発売しました
その洗剤はTvでデモンストレーションをして誰でも安全に自宅で
洗濯が可能な事を教えて居ました
クリーニングから戻ってきた物は何とも言えない石油の匂いに似た
匂いがして不快感が有りましょた
通販で見た洗剤はその後私も買い自宅で殆ど洗濯をしています
1000cc程で5000円以上の料金でしたがその量で随分長い事使えます


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シルクのストールやウールのショールどれもクリーニングに出せば
全て洗濯料金が付いて回ります
冬の女性のお洒落グッズマフラーやショール数えれば馬鹿になりません
長年の主婦の力の見せ所です
万能と言っても良い洗剤の出現でクリーニング料金は断然かからなくなり
私に取っては洗濯が楽しみです
息子の一言でダウンコートの羽毛は自分で洗えることを知り大変な
経済効果です
これからダウンコートの洗濯を始めますがお彼岸のお中日になっても
真冬並みの寒さなのでダウンコートを着ました

桜の開花宣言も有ったのに寒の戻りとは酷な事です
冷たい雨に打たれながら咲きかけの桜はどうなるのかしら?
真冬並みの寒さでは花見に出掛ける気も起りませんが気分は少しだけ
春本番に向かっているみたいです
今年も早咲きの桜 大寒桜が咲いています名古屋市内でも色んな所で
咲いていますが私のお薦めは 名古屋市政資料館の庭に咲く大寒桜です
日頃は閑散として庭も大寒桜が咲き出すと見物の人達で絶え間ないです
今年も待ちに待った大寒桜が咲きました
私は市政資料館で今年の桜の初撮りをしました
これで今年も花のシーズンが始まりますので忙しくても花を見る事が
楽しみです 



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2〜3年前にも桜の開花時期に真冬の様に寒い時が有りました
桜は咲いても実際にはまだまだ寒いのですね〜
染井吉野が満開になるころ堀川では名古屋友禅の友禅流しが
行われます
川の中での作業は冷たい水に晒されて厳しいでしょうね〜
桜の時期の事を思い出しました
友禅流しの頃ダウンコートを着て桜や友禅流しの撮影に出掛けました
思い返せば今年だけが寒かったわけではないのですね〜
そろそろ寒さや雨ともお別れをして心地よい春風に吹かれたいです
繰り返しになりますがこれから私の洗濯の季節です
ダウンコート表面は汚れて居なくても羽毛が排気ガスなどを吸い込んで
とても汚れています

どれ位汚いかと言えば・・・
水に洗剤を溶かし洗濯のダウンを入れ先ず空気を抜くために押します
ダウンを押しながら空気を抜くときに汚れが出てきます
全く空気が抜けたらそのまま5分ほど放置します
それで5分の間に汚れを出し切ります真水が灰色やもっと濃い色と
なって変化します
ダウンコートの中はそれ程に汚れているのですね
5分経過したら脱水しますが高速回転で約5秒で止め再度真水に
潜らせ濯ぎます
真水に潜らせたら又脱水 高速回転で5秒 それで洗濯もの取り出し
干します

随分水分を含んだままですが
その水分が洗濯ものの皺を伸ばす役割をしてくれます
アイロンは殆ど不要でしょう
こんな手順で毎年冬季に来ていた物を殆ど洗います
従ってクリーニングへの支払いは0円に等しいです
自宅で自分の物だけ洗えば他所の家庭の物と一緒では無い為それこそ
一番の安心です
洗い上りは匂いも無く実に快適です
一度は洗剤を購入で投資しなくてはなりませんが
それは安心安全への第一歩でしょう



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つまらない書き込みばかりしましたが
先回のブログ更新は 1月半ばの事で随分長い事さぼっていました
気には掛かって居ましたが唯時間だけが過ぎて行き無気力になった
私だけが居ました
さぼった事を体調不良に押し付けたはいけませんが実際にはなにも
したくない時を過ごしていたのです
節分が過ぎ愈々春
待っていたはずでしたがブログ更新には至らず自分自身が情けない
気持ちになっていました
山坂有り と言った所でしょうか?

更新が遅れ遅れの中でもブログへご訪問頂いて居り誠に
有り難うございます
何時も取り留めの無い事ばかりで代わり映え致しませんが細々でも何とか
更新をして行きたいと思っています
名古屋市政資料館の大寒桜を見て桜の撮影もしてみたくなりました
今回のブログの画像は全て資料館の大寒桜です
長雨が続き撮影した3月17日が最高に綺麗な咲き方でした
天気がはっきりしない3月20日資料館で研究会が有り桜を見ましたが
もう盛りを過ぎた感がいたしました
たった一日だけの快晴の日に大寒桜に出会えてとても感動しました

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この先お城やお堀端に咲く染井吉野
お天気も回復して暖かくなってくれると有難いです
名古屋城も後暫くで現在のお城は改築される予定になっています
昭和30年代に戦争で焼失した国宝名古屋城をいち早くRC工法で
再建しましたが石垣等の耐震が施されていない為RC工法から
再度木造建築で再建することになっているようです
見慣れた現在のお城も解体される見通しです
そんなことも有り見慣れた今のお城や周りの桜も撮影して置きたいと
思っています
木造で再建されるまで5年ほど掛かるようです
新しいお城も見てみたいです



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年も改まり〜(^_-)-☆

 遅れ遅れのブログの更新です
年が改まって早くも10日以上となりました
年末気持ちだけが空回りしてやらなくてはならない事も
全くお座なりの状態で過ぎてしまいました

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何の事も無い普通の事柄が最近は怠けてしまいます
先ず健康に生きる事が肝心と思う様になりました
自治会の女性たちの様子を見て骨粗鬆症に悩む人や
循環機能が著しく低下している人色々です
毎日が家の中でTvがお友達の人が多いのです

足が痛い・腰が痛いは挨拶代わりに成りつつあります
最近はどの家もかっての様な食べ物に困る時代では無くなりました
栄養面についても充分気を付ける事が出来る時代となっています
どの家庭もそれ程食べ物に格差が有るとは思えません
それでも各々の体質に依って足や腰が痛むように
なって行くのかなぁと考えてしまいます

自宅の畳の縁に躓き転倒し大腿骨を骨折した人もあります
整形外科病院へ3ヶ月以上入院治療した人も知っています
入院すれば一時は寝たきりの状態になり当然の事ですが
筋力は落ちてしまいます
中高年の女性が一度大きな骨折事故をすると大変苦労します



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苦労している間はまだ生きていると言う証拠なので安心です
新年になって同級生のご主人から挨拶状が届きました
それは同級生が昨年12月に永眠したとの挨拶状でした
信じ難い知らせに一時はその葉書を呆然と見つめてしまいました
暫く前に街中のデパートの出入り口で彼女を見かけました

その折声を掛ければ良かったのに黙って後姿を見送りました
その後クラス会にも欠席していた事を思い出しました
彼女は女の子二人の母親でした
長女は養子縁組をした男性と結婚平穏な生活をしていました
所がお孫さんが小学校低学年の頃長女の人は若くして
くも膜下出血で急逝してしまいました

それ以後一家のまとめ役としてお孫さん達の面倒を
見なくてはならなくなり身体的に辛い主婦業に戻りました
長女の代役として毎日が大変だったようです
随分前のクラス会に出席した折2度目の主婦業の話を
困惑した様子で話していました



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何時も一番豪華なアクセサリーを身に着け輝いていた人です
それが長女を失ってから心身ともに疲れて以前の様な優雅で
穏やかさは消えて居ました
今から思えば長女を送ってしまいその痛手が尾を引いていたと
思えてなりませんでした

同年代で一緒に学んだ仲間として何時の間にか一人二人と
生涯を閉じて行く事を考えると生きて明日が有る事に
感謝をしなくてはなりません
生まれたら必ず何時かはこの世から去る日が来ます
これは必ず訪れる宿命ですから受け入れなくてはなりません

最後の姿がどの様な姿で居られるのか?それは今も判りません
少なくとも寝たきりの状態が長く続くような事は回避したいと
思いを巡らしています
生まれて以来多くの人と関りを持ちながらの暮らしでしたが
余り訃報は聞きたくない心境です



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それは誰もが何時かは訪れる身体の衰えや飛躍しますが
人生の終焉
普通に会話が出来て普通に物忘れが有り自分で認知症かなぁ?と
考える人はまだまだ大丈夫に思えます
その時がいつ訪れるかは神様だけがご存知の事ですので
現状維持で生活できていれば大変喜ばしい事と思われます

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私がお世話になっている或る医療機関の事務を担当している
女性は何時も顔を合わせると
 sumikoさんご自分で街中へ出てこれてご自宅へ帰れるのは
 健康な証拠です と言います
彼女の祖母は何処へ出掛けるにも保護が必要で全く自分では
何もできないと言います

日常は彼女の母親が全てサポート役に回り何処へでも付いて
行くと話します
最近では家族の顔もまだら暈けで情けない状況と言います
誰もが何時かは経験する老いの姿ですが出来れば老いても
自立して暮らしたいと願わずには居れません

もう友達が逝った事は考えない事にしました
自分の健康の事を考えて寝たきりにならない様な生活の
工夫をしたいと思いました
知り合いと時々会い世間話に花を咲かせ脳を活性化し
毎日良く歩き足腰を丈夫にする事を考えました

寒さの真っ最中時には風引きの状況の時も有りますが
そんな時は無理をせず体力を温存し回復を待ちます
実際の所低体温症で悩んでいた私ですが或る医師の勧めで
一日決められた距離を歩き低体温を克服したいと考え
いま取り組んでいる最中です



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幸いな事に毎日決められた距離を歩いても膝や腰が痛いと
思う事は有りません
思えば大変恵まれています
同じ年の友達は膝が痛くて一人では外出出来ません
家の中ばかりの生活は却ってストレスがたまりそうです

例えばの話 昔の街並みと今とでは少なからず変化が有ります
その変化を見つめながら歩くのも不思議と楽しさが有ります
きっと変化を見つけた時の私の脳は活性化しているに違いたいと
思いたくなります
他愛もない自己満足に過ぎませんがこの他愛もない事が有る意味
私の健康を支えていると考えます


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慌ただしく〜続き (^^♪

 先回の更新から随分時間が経ってしまいました
11月の声を聞いてから紅葉や黄葉が始まり秋の景観を追って
毎日がお天気と相談しながら近場ですが撮影にでました
秋が短く急激な冷え込みに悩まされましたが今年のもみじは
昨年に比較してみればとても綺麗でした



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本当は京都へ出掛けたいと思いましたが日程的に立て込んで
一寸無理と判り京都は諦めました
近場でも中々綺麗に紅葉している所が有りそれはそれで結構
楽しめました
紅葉黄葉何れも季節の変わり目で記録に残したい場面が幾らも
有ります

11月1日には年賀はがきが発売され近所の郵便局に予約が
して有りその頃から年末の慌ただしいモードになっていました
年賀状の作成はしなくてはならず先の事を考えるとその多忙さに
参っていました
それでも人に頼む事はせず例年通り自分で年賀状作成したいと
考えて居ました

追い詰められた様な気分になりましたが何とかなると思いながら
の生活でした
年賀状の事は絶えず頭から離れませんが目先の紅葉や黄葉も
楽しみたいと欲張りな事も考えて居ました
幸な事に名古屋城や名城公園中心街の公園などは地下鉄や
徒歩でも出かけられそれだけは恵まれて居ました



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今年の秋一番良かったのは 私が所属の会が企画した
滋賀県 東近江市にある永源寺のもみじ狩りでした
滋賀県は一寸遠いですが参加者が20人程でマイクロバスを
チャーターして出かける事が出来ました
以前滋賀県の 湖東三山に出掛けましたがその近くで
人出が多い古刹です

紅葉は見たいし忙しさは営年以上となっていて気持ちだけが
早まります
永源寺は公共交通で行く手段は無いわけでは有りませんが
話を聞いただけで 無理と判りグループに参加で良かったです
お馴染みの顔ばかりの参加者ですが唯紅葉を見るだけの人が
多いですがサークル活動でご一緒の人は皆カメラ持参です



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限られた時間内で目に付くものを心残りなく撮影しようと
夫々紅葉の場所へ急ぎます
重なり合う紅葉や銀杏の色合いは都会では見る事が出来ない
貴重な被写体です
絶え間ない人の流れが有ると言う事は近隣の人からこのお寺が
愛されている証拠かと思いました

古いお寺の屋根に紅葉の葉っぱが落ちている様子は正しく
日本の秋の光景を代表するものと感じます
日本建築と黄葉はとても良い愛称です
今年の秋は真っ赤な紅葉を見て日本に生まれて良かったと
しみじみ感じました
何度となく見てきた秋の光景ですが今年は格別と素直に
感じた私でした

紅葉も昨年は余り良い色では無かったことを記憶しています
その年の気候により色合いにも変化が出てきてしまうようです
もみじの紅葉には堪能しましたが銀杏の黄葉には少々苛立ちました
銀杏の生産日本一と言われる愛知県 稲沢市 祖父江町此処へは
毎年黄葉の撮影に出掛けています
早くから気にかけて居ましたが出掛けた時はまだ黄葉とは
言い難く真っ青な葉っぱでした

友達からも まだ青いよ〜と聞いていました気が実際に
出掛けてみて驚いたのは本当に黄色い銀杏が少ない事でした
夫々ばらばらの状態です
11月末日になってようやく黄葉が見ごろとなっていたとの事
その原因は10月に来た2度の台風と長雨が原因とか
銀杏の撮影は何となく消化不良で終わりました



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色々有った今年ですがもみじや銀杏の葉っぱの色付きを
追いかけて元気に外出出来た事は自分にとって嬉しい事でした
同級生や近所の奥さん方皆さん足が悪く又循環器系の疾患に
掛かり殆ど家の中での暮らし
その事を考えれば超恵まれた私の秋から冬へ掛けての行動は
皆の羨望の的となりました

何時からか判りませんが私は低体温に悩まされていました
毎月一度医師の生活指導を受けています
そんな中から低体温を改善するために毎日 歩きなさい と
言われていました
医師が進言する様に私は 歩こう!! と決心をして
毎日医師の立てた目標通り歩きました

一日 一万歩 と聞き最初は困難と思いましたが意外に
実行してみると苦労は無く目標に達するだけ歩けます
日常生活の中でのほんの僅かな時間を歩く事に充てるだけで
低体温も改善されれば嬉しい事と考えています
歩き乍ら小さなカメラ持参で市内のウオッチングは
中々楽しいものが有りました



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所用で時々JR名古屋駅方面へ出掛けます駅前の銀杏の木
この所の寒さと強風の為葉は落ちました
矢張り12月も半ばとなれば全くの冬景色です
一寸淋し気な街中の景観ですが暫くは冬景色です
巡る季節に喜怒哀楽を感じながら毎年同じように過ぎて
行きます
歳末助け合い運動が以前は頻繁に行われていましたが
最近は 海外の子供への支援を要請する募金集めが盛んです

先日もたどたどしい日本語で話しかけてきた女性が有りました
彼女はボランティアで来日して募金活動に参加をしています
募金と言われても私にはその様な余裕はなくお断りです
クレジットカードから毎月決まった金額を拠出して欲しいと
言いますが容易く応じる訳には行きません
日本の人の為の 助け合い募金は 最近無くなりつつ有ります
日本人が裕福になったとゆう事なのでしょうか?



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慌ただしい暮らしの連続でしたが季節の変わり目等に多少の
体調不良らしい事も有りましたが寝込む事なく
過ごせて概ね良い年で有ったと考えています
年末になり家の中の整理整頓をしなくてはなりませんが
未だ実行に至っておりません
このブログの更新が遅れに遅れているのは 歩く事に
時間を取られブログ更新にまで手が廻らずでした

秋のもみじ狩りとても良かった事を付け加えて今回の
更新を終わります



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慌ただしく〜♪

 気が付けば今年も既に11月です。
慌ただしく過ぎて行く時間の事を考えると、唯今年は
天候が余り良くなかった事が思い浮かびます。
5月から夏日が現れ、本当に戸惑いました。
夏はどれ程の暑さになるのかと?心配でした。


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年々暑さや雨の降り方が物凄く各地で水害が発生し
とても気になりました。
そう言えば自分が子供の頃は今の様な雨の降り方は無かったし
夏の暑さも精々30℃〜32℃位まででした。
最近では35℃と言う日が何日も現れ日本の最高気温が
40℃を超えた事も記憶に新しいです。

盛んに地球温暖化が進行していると言われていますが
真夏の酷暑や時外れの寒暖の差は体に響きます。
私の同級生に聞いても同じく気候が変動して体が思う様に
付いて行かない、とぼやきます。
今は高齢な人より若い人の方が体の変調が顕著の様にも
感じます。

気候が安定しない為気分が優れず体調不良を訴える人の事
時々聞きます。
と言う事となれば、体調不良は高齢者に限った事でなく
生きている全般の人に影響していると考えた方が良さそう。
何故こんなに気候が一定しないのか?


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思い出すのが少し遅いのですが、気候が目まぐるしく変わり
衣服の調整が中々難しく色んな衣服が出しっ放しです。
こんな事ではいけないと思いつつ、ついつい片付けが後回しの
悪い癖が擡げています。
暑かったり寒かったりで体も吃驚の陽気には参りましたね。
彼是する間もなく時は容赦なく過ぎて行きます。

良い気候に誘われて、紅葉を見たり秋の薔薇を見たりして
日中は忙しいです。
黄葉も薔薇も今を過ぎれば来年までお預けになります。
適当に太陽に当たり健康維持にも努めているつもりですが
片付けの事を考えると物が多すぎる事に気が付きます。
では、片っ端から捨てて行けば良いと思いますが決心出来ず。


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それは確かに私の怠慢に過ぎませんが、兎角人間は楽しい事を
優先させる癖が有るようでご多聞に漏れずです。
同級生の友達から、私と同じような事を言う人が何人も居る事が
判っています。
足腰が痛くて滅多なことで外出しないとも聞いています。
家の中ばかりで毎日Tvとお友達で、世間の動向をとても
良く知っています。

タレントさんの不倫騒動から政治家の動向まで本当に良く
知っています。
私が外出中に良く電話が掛かってきていますが出られません。
帰宅して改めて私から電話をすることにしています。
話は尽きず60分は当たり前の電話となりますが、歩けない人は
電話で話をするしか交流の道は無いのでしょう。

そんな電話の中で、やはり話題になるのは気候が不安定で
体調が揃わない事など真剣に話します。
誰もが気に掛ける健康状態ですが、個人差が顕著に現れます。
歩かない人はどうしても足の筋力が自然に衰えて行きます。
室内でスクワットでもすれば良いと思いますがそれもしません。

何とかして歩けるようになりたいと努力すれば次第に足腰も
強くなれると思うのですが本人はその気が有りません。
夫々の考え方なのでそれは本人任せと言う事でしょう。
娘さんの運転を頼りに何処へでも連れて行ってもらう事を
当然の事と思っているようです。



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一年でも健康寿命を延ばしたいと思うならそれなりの努力が
要求されます。
私は時間が有れば歩くようにしています。
人の体は使う程に耐久力もついて来ますし足腰に筋力も自然に
付いて来ます。
自分の力だけで動けなくなったら?と考えると気が重くなります。
今は病気さえなければ100歳の人でも十分歩く事が出来るそうです。

そこまで行かなくてもこの先数年でも足腰丈夫で生きられたら
どれ程の幸せかと言う事を考えます。
病院に入院して治療を受けながらの長生きは出来れば回避
したいと思います。
長生きしても寝たっきりでは何ともならず悲しいです。
元気に暮らしてある日突然何処かへ行ったかのように
消えて行く最期は望む所です。



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100年生きられる時代になって本当に良い時代と思います。
元気で有れば100年生きる事に意義を感じます。
病と言っても体の病では無く昨今では65才以上の人に
見られる認知症の状態。
これは不可抗力の感じがしないでも有りませんが友達の中で
50才半ばで認知症で家族が介護に苦しんだ様子も知っています。
勉強が良く出来て真面目な人に限ってそんな病に悩むのです。

本人は何も判らなくなり配偶者の理解と協力が必要となります。
そんな病にも掛かりたくないし考える程に先の不安が過ります。
これから先の課題は 健康寿命に有るのかなぁ〜と立冬の夜に
思いました。
慌ただしく過ぎた一年弱ですが慌ただしいと思える事は
自分が元気な証拠かも知れません。
有難い事です。



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情報化社会なのに〜(~_~;)

  9月末頃から気が付いていましたが、急に日没が早くなり
外出していても気が揉めます。
時間を上手く使う事が出来ず何時もアタフタとしています。
10月半ばとなり日の入りが午後5時20分台となりました。
これで、今年も後僅かとなったと言う実感がして来ました。
何となく見ているTvですが、意外な形での買い物が増えました。



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通信販売が意外にお値打ちで有る事が理解でき、ちょこちょこと
購入する様になりました。
配達の人も有る程度地域で限定されて、お互い顔見知りで安心です。
所が最近数年間この地区の担当だった人が来なくなり変わりの人が
宅配に来てくれます。

私が不在で有れば必ず「不在表」がポストに入れて有ります。
時間的に短時間の時間差で有れば、電話をすればその日の内に
宅配完了です。
夫々携帯電話を持ち、電話番号が掲載して有ります。
確実に本人に通じれば事は確実です。

所が宅配の仕事は過酷なのか職員の入れ替わりが頻繁です。
慢性的な人不足なのか?暫くの間見知らぬ顔の人ばかりが
来ていました。
つい先日の事、配達を指定しなかったので不在の時に来ました。
掲載の電話番号に連絡しましたが、全く通信出来ません。


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土曜・日曜になり益々連絡が難しく困りました。
パソコンには既に配送したと連絡して来ています。
発売元はスパコンで商品と顧客の管理を確実に行っています。
それが消費者の待つ末端の所で混乱しているのです。
10月10日発送していて、まだ届いていません。

何時かは届くだろうと考えますが、今回の商品は食品なので
一寸遅れると困ります。
私の予定として写真教室の撮影会とか歩くイベントとか
不在の理由は様々です。
タイミングが悪くて不在の時の宅配は一番困ります。


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宅配の人が残した電話が通じない事が一つの引き金となり
ズルズルと配達が遅れて行く様に感じます。
特に慣れない土地へ来たドライバーは困ると思いますが
やはり一刻も早く地理と顧客の位置を記憶する事かも
知れません。

最近は空き家なのかどうか?と言う事も余り判らない状態です。
多分宅配の人も不在が多いので困っていると言う事でしょう。
10年一昔とも言いますが世の中の情勢も変化をして来ました。
そう言えば10年前はそれ程宅配便の利用や配達も無く静かでした。
情報化時代となり、若い人たちがネットを利用し何でも買います。

その影響も有り宅配の人は多忙になるとも聞いています。
そして慣れない不特定多数の顧客の対応に疲れ果て直ぐに弱音を
出して簡単に退社してしまうとのことです。
中年の宅配の人達はそうした若者の後始末を何人かで分け合い
何とか営業を堅持しているとの事です。



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宅急便の大手の会社では、本社の他に会社以外の人に
業務を委託している場合も有るとの事です。
これまでに大手の会社で自営業が衰退して収入の道が途絶えた
人達が心機一転宅配の委託をしていた人の話も聞いています。
高齢になってからの委託業は体力的に困難でしかも電子機器を
使わなくてはなりません。

パソコンも触ったことが無い人には無理な話ですが、手書きの
時代は終わっていました。
今は電子機器も触れる人でないと、宅配業者として働けません。
その点、若い人はメカに強く何の抵抗も無く電子機器を
使いこなします。

不在表に必要事項を書き込みポストへ投函して行きますが、その
後連絡が取れなくなる事には困惑します。
情報化時代となり何かと便利では有りますが、一番簡単な
電話連絡が出来なかった事に、とても不便さを感じました。


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何時も薄手の生地の会社の制服で飛び回る宅配の人達。
暑さでぐったりする夏も大汗を掻きながら街中を飛び回ります。
暮らしを立てる収入を得る為には已むを得ないかも知れません。
私が依頼した商品は代金は「着払い」なので、必ず来なくては
ならないです。

何時も着払いにしている理由として、クレジット払いは
何か起きた時の事を思うと、現金払いが一番良いと
考え商品と交換で代金を払っています。
料金を回収しなくてはならない為、必ず届けに来ます。
お金の合計が合わなくてもいけませんし、考えれば責任が
重い仕事です。

配達日が指定出来なかったのは、単に私の個人的な理由ですが
今後は必ず配達日を指定・時間帯も指定しようと思います。
僅かな電話連絡の行き違いで販売元の発送日から7日間も遅れ
待ち時間が長すぎます。
人気商品なので発売と同時に宅配業者も超多忙になるのかも
知れません。



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惨禍は続いて〜(>_<)

 先回のブログ書き込みから随分経過したように感じます。
この間息子の住まいの周辺は「ハリケーン」の被害から
逃れて彼が無事で有る事が判りホット安心をしました。
でも、でもです。
米国本土は広大な土地で隣国とも地続きです。



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ハリケーンのニュースが放映されなくなった頃、依然被災者は
苦しい生活を余儀なくされているのですが、忘れられた感じです。
隣国メキシコでは巨大地震が発生して家屋・高層ビルまでもが
崩れ落ちる様子が伝えられました。
マグニチュード8.1とも言われ驚きです。

この巨大地震、8.1が有ってからまた地震発生です。
30年前にもこの地帯では10000人が犠牲となる大地震が有りその
避難訓練の最中に又地震の発生です。
改めてメキシコは危険地帯と認識するに至りました。
それで長男はどうしているのかなぁ〜?と思いました。

ハリケーンでは心配して連絡を取りましたが、今回の地震は
かなり場所的に離れて居ますのでニュース見ているだけでした。
然し次男は電話をして居たらしいのですが、繋がらず。
止むを得ずメール送信をして確認をしていたようです。
地球規模で起きる最近の自然の異変、起きれば猛威を振るいます。



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長期滞在で現在は**サス在住の長男。
毎日**シコの勤務地へ出掛けて居ますが住居は
ボーダーの近くらしい事しか私は知りません。
遠くでの勤務は何か起きると心配になります。
日本人は元々地震国で育っている為地震については多少の
知識は持ち合わせて居ます。

米国中央の地帯の人達は地震で地面が揺れる事を理解出来ず
地震が発生すれば「東北・大災害級」の事を思うらしいのです。
狭い国日本、あの東北・大震災の後仕事で米国を訪れた時
「お前の家は崩壊したと思っていた!!」と言われ
長男は「きょとん」としたと、当時の事を話します。

それ程地震に対する認識が違う事も良く判りました。
9月に入りメキシコの地震は立て続けに「3度」も起きて
危険地帯に有る事を示しています。
地震に関しては「地球温暖化」とは関係あるのか?ないのか?
それも素人の私には判りません。

テキサスのハリケーンでは総額20兆円とも言われる被害額。
メキシコの巨大地震の損害は如何程になるのか?
まだ判りません。
何れにしても支援の物資や人的な支援も必要となります。
日本の民間企業のメキシコへの進出が盛んすが他国での
企業の運営はある意味厳しさも伴います。



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この大地震で失ったものは莫大でしょうが、果たして
取り戻す事が出来るのか?気掛かりです。
細かな事を言いますが、あちらではパートの人達の賃金が
信じ難いものが有ります。
時間給「1弗」程度。
一日働いて「8弗」ですが、これで生計を立てるのです。

長男からは簡単に、これ位の情報しか得て居ませんが
日本人の時間給が向こうでは「一日」の働き分なのです。
如何に日本の人件費が高いか、良く判る所です。
ですから、あちらへ企業が進出したくなるのでしょう!!

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何れにしても、仕事する場所が何処の国で有ろうと自分が
生きて暮らしを護れる事が大切でしょう。
早く大地震の被害が収束出来る事を祈るばかりです。
こんな事を書き込んでいても、他所事では有りません。
東海地方も総和19年・20年に発生した大地震から既に
70年以上が経過しています。

聞いた話では有りますが当時のマグniチュードは「6」以上
有ったとも聞いています。
東北の大震災は・・・初めて聞マグニチュード「9」。
この時東海地方にもかなりの揺れを感じて居ます。
それ以前に「阪神淡路大震災」の時も揺れました。
同じく朝自宅で震度「3」、岐阜県では震度「4」の揺れ方。

日本列島は大きな地震発生で各地方に揺れが出てきます。
細長い地形の日本、常に地震の恐怖に晒されています。
この土地に生まれた宿命みたいな事を感じないでも有りません。
では、今回のメキシコの大地震は予測はされて避難訓練もしていた
その矢先でした。
惨禍に見舞われた人達はこの先どんな暮らしをして行くのでしょう。

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どんな過酷な運命に出会っても、これまでは人々は何とか
知恵を出し合い、忍耐と努力で対峙してきました。
メキシコの人達もきっと、忍耐と努力で立ち上がる事が出来ると
信じて居ます。
単に私の息子だけが大地震とは余り関係ない所で居て無事を
次男が確認しましたので、一先ず安心でした。

自分の息子さえ無事であれば後は、何とでもなれ と言う
気持ちでは有りません。
何か私で支援出来る事が有れば、喜んで支援をしたいと
考えて居ます。
私は有る団体には定期的に僅かですが支援金を拠出していますから。




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ハリケーン ハービー〜(>_<)

 二日ばかり前から米国・テキサス州のハリケーンの
被害について報道機関は一斉に被害が甚大で有る事を
伝えて居ました。
ハリケーンは現地時間25日に発生と伝えて居ました。
遠く離れた米国での出来事ですが私に取っては大いに
耳の痛いまた心配な情報では有りました。



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一年に最大2回ほどしか帰国しない息子。
7月に夏の休暇を取り帰国していましたが既に勤務地に
戻っています。
米国に暫く勤務していて、ハリケーンが起きる事は聞いています。
今回のハリケーンは息子が住むテキサスで発生している為
とても心配しました。


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国土が広く災害も発生すれば大がかりとなってしまいます。
ニュースで見る限り人々が大水に晒されて困惑する様子が
痛々しく映しだされて居ます。
私は息子が住む所がどの辺りになるのか皆目判りません。
それでも「被害甚大」と聞いては、気が揉めました。

真夜中思い立って彼の携帯電話に電話してみました。
オペレーターから「現在この番号は使われていません」と
告げられ、どうしたものかと戸惑いました。
7月に帰国して食事を共にした際、家族での写真を撮っていた事
思い出しました。

それで、メールに返信の形でメール送信をしてみました。
携帯電話であれば直接声も聞けますがメールでは直接の
応答は有りません。
唯「大丈夫か?」と言う事を尋ねたかっただけです。
それでもメールの最後に「近況を報告して」と書き添えました。



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8月30日 朝目が覚めて早速パソコン起動しました。
若しかして、何か返事が来ているかもしれないと思って居ました。
返信メール来ていました。
息子も現地での情報を聞きながらの生活だった様で、当初は
住居の地域が「直撃」と予測されたそうですが、時間にして
約90分ほどの地域が「直撃」だったそうです。

何処が直撃でも、嬉しい事では有りませんが一先ず息子が
無事で有る事が確認出来ました。
それで私は安心して、どっと気が緩んでしまいました。
幾つになっても息子は私の子供です。
唯でさえ「遠く離れている」だけの事でもストレスが
掛かります。



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通常であれば、私から息子へ電話をするような事は有りません。
休暇で「++日に帰国する」と言う電話が掛かる位で後は梨の礫。
今回の様に頻繁に災害について報道されれば、親としては
心配になります。
トランプ大統領も被災地を視察に行きました。
ハリケーン ハービーが齎した災害はとても大きいです。

ハリケーン ハービーは既に熱帯低気圧に変化していると聞いています。
観測史上最大と言われる積算降水量を記録し、尚これからも
大雨の気配が有ると言います。
これまでの雨量 1300ミリ以上と言われていますが想像を絶する
雨量と思いました。 

テキサスへ移転する前にはミシシッピー河の流域に有る街に
住んでいました。
その時もミシシッピーの河口で氾濫し住宅地が冠水した事が
有りました。
その時もニュースにはなりましたが、今回のテキサスの様な
情報の発信は有りませんでした。

今は世界何処でもテロが発生したり物騒な時代です。
米国勤務の辞令が出た時、紛争地ではないから比較的
安心なしていました。
日本に比べれば色々社会の習慣も異なり
かなりの規制が有る様に思います。
現実自分の勤務する企業への毎日の出勤も今は自分で乗用車の
運転は「禁止」されているようです。

それは国境を越えて他の国へ行くからですが、自動車産業に
携わる者として何か不思議な感じがして来ます。
毎朝ドライバーが自宅へ迎えに来て、そのドライバーの
運転で出社するわけです。
勿論テキサスに居る休日は自分で運転して買い物に出掛けます。
他国で働くことは中々困難が伴います。



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何れにしても夏の休暇から戻ってまだ一ヵ月ほど。
クリスマス休暇まで一寸時間が長いです。
私は米国本土へは一度も出掛けた事は有りませんが、関心は
有ります。
何時か米国本土に出掛ける事が出来れば幸いです。

追伸
8月31日の報道によればハリケーン ハービーの被害額は
総額 8兆3000億円と 伝えられています。
これがどれ程の高額さなのか?私には想像も尽きません。
世界各国で大雨や大洪水が発生しています。
何としても地球温暖化の阻止に向かうべきと考えますが
米国大統領の本心は何処に?
考え方を改めて貰いたいと思いますが如何でしょうか?



追伸 2

9月1日 報道に依ればハリケーン ハービーの被害総額は
13兆円と 再度発表されました。
依然として冠水した住宅や避難をする人々の姿が映し出され
ハリケーン被害の甚大さを改めて知ることになりました。
全てを失った人達の多さに驚きます。

追伸 3
9月9日
某Tv番組で ハリケーン ハービーの総額被害額が
遂に20兆円超え とも言われ出しました。
恐ろしい総額です。


 

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