焼き物の街の散策には約1時間半程の時間が掛かります。
この「焼き物の街歩き」にはボランティアの
男性が説明役になって下さいました。
以前来た時には、自前のパンフレットと引率の人が簡単に説明を
しただけでしたが今回は大変弁舌爽やかな説明が聞けて良かったです。
説明を受ければ「うん、そう言う意味が有ったのか!!」と納得します。





街の一番の見所「土管坂」の説明には熱が入りました。↑↑↑
私も写真を撮りました。
左側の大きな土管は、明治10年頃に焼かれた物でよく見れば
木型の筋跡が判ります。
右に見える大きな瓶は「焼酎瓶」で、昭和30年代に石炭窯で焼かれたものです。
瓶の内側に釉薬が掛かっている物は、酒造会社に納められました。

道路には不思議な模様が有りました。
これは、昭和35年頃土管を焼く時に使われた「焼台」が埋められています。
この一角が、焼き物めぐりで一番の見所で、絵になる景観です。
古からの日本人が暮らした「生活の匂い」が強く感じられる
場所でもありました。



5   街の中で写真の様な
  沢山穴の空いた変わった
  形の焼き物を見ました。
  花を植えるプランター?
  何だろうなぁ〜と
  思いつつ歩いていました。
  この形の焼き物が
  一列に並んだり
  カーブを描くように並んだり
  私は不思議な感じが
  していました。
  とうとう、誰かが質問しました。

  やっと、謎が解けました!!
  「電纜管(でんらんかん)」と
  言うもので
  多孔陶管です。
  地中にケーブルを通す為の物で
  現在も生産されています。
  現在は素材としてはセラミックの物が多いとの事です。
  主に電話会社からの注文を受けて生産をしていたと
  説明が有りました。
  身近な所では、お膝元の中部国際空港には勿論最新式の
  製品が使用されているとの事です。
  物作り「愛知」は自動車産業ばかりではありません。
  自動車産業が盛んになる前から、人々の生活の基盤になる
  物つくりをしていた事になります。
  横浜の水道管も、名古屋の水道管も皆この常滑の地で作られて
  いたと思うと、素晴らしい事と感慨深いものが有りました。



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