8月9日は1945年に、日本に2度目の原爆が長崎県に投下
された日です。
午前11時02分。
広島・長崎と世界でわが国だけしか被爆体験が無い「原爆」です。
平和を祈念しての慰霊式が執り行なわれました。
広島も長崎も凄惨な人的な被害を出しました。
どちらの原爆の日の式典もTv中継を通して同じ時刻に遠くから
鎮魂の黙祷をした私です。
昨年、東日本の大震災が発生して原子力発電所の事故が発生しました。
原爆も原発も同じ危険な「放射能」と言う目に見えない恐怖があります。
67年経過した広島・長崎は今もって被爆して苦しむ人が後を絶ちません。
原発事故も同じ様に60年以上掛かっても「放射能」からの恐怖から
逃れる事が出来ないででは?と感じています。
戦時中の原爆投下は相手が無慈悲な攻撃をして来たのですが原発は
元はと言えば「平和利用」のはずでは?無かったのでは?と
思いたいのですがこれも甚大な被害です。
長崎の原爆投下については、私もその後に父親から色々話を聞かされました。
戦後暫くして父親は一冊の「本」を買って読んでいました。
それは長崎大学医学部の教授
医学博士:永井 隆氏の著書でした。
「この子を残して」と言う著書でしたが、私にはまだ理解が出来ない為
内容を私に伝えて教えてくれました。
父親は同じ様に若くして妻を亡くしたばかりで、きっと永井博士の
著書に胸打たれたものと、思い起こしています。
その後暫くして
作詞:サトウハチロー氏、作曲:古関祐而氏
で発表された「長崎の鐘」は大きな反響を呼び歌手:藤山一郎氏は
この歌を心を込めて熱唱していました。
遠い昔の事になりますが、実は昨日の事の様に思い出されます。
こよなく 晴れた 青空を
悲しと 思う せつなさよ
うねりの 波の 人の世に
はかなく 生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の 鐘が鳴る
これが、「長崎の鐘」の歌い始めの言葉です。
*永井博士の事については、検索して頂けば殆どの事は判ります*
永井博士は43歳の若さで逝去されています。
被爆して療養を続けながら執筆なさった事が残されています。
原爆も大変な事でしたが、原発もこの先の見通しが付かず
苦しみの連鎖の始まりです。
どうすれば、1945年以前の恐怖の無い世界になれるのでしょうか?
された日です。
午前11時02分。
広島・長崎と世界でわが国だけしか被爆体験が無い「原爆」です。
平和を祈念しての慰霊式が執り行なわれました。
広島も長崎も凄惨な人的な被害を出しました。
どちらの原爆の日の式典もTv中継を通して同じ時刻に遠くから
鎮魂の黙祷をした私です。
昨年、東日本の大震災が発生して原子力発電所の事故が発生しました。
原爆も原発も同じ危険な「放射能」と言う目に見えない恐怖があります。
67年経過した広島・長崎は今もって被爆して苦しむ人が後を絶ちません。
原発事故も同じ様に60年以上掛かっても「放射能」からの恐怖から
逃れる事が出来ないででは?と感じています。
戦時中の原爆投下は相手が無慈悲な攻撃をして来たのですが原発は
元はと言えば「平和利用」のはずでは?無かったのでは?と
思いたいのですがこれも甚大な被害です。
長崎の原爆投下については、私もその後に父親から色々話を聞かされました。
戦後暫くして父親は一冊の「本」を買って読んでいました。
それは長崎大学医学部の教授
医学博士:永井 隆氏の著書でした。
「この子を残して」と言う著書でしたが、私にはまだ理解が出来ない為
内容を私に伝えて教えてくれました。
父親は同じ様に若くして妻を亡くしたばかりで、きっと永井博士の
著書に胸打たれたものと、思い起こしています。
その後暫くして
作詞:サトウハチロー氏、作曲:古関祐而氏
で発表された「長崎の鐘」は大きな反響を呼び歌手:藤山一郎氏は
この歌を心を込めて熱唱していました。
遠い昔の事になりますが、実は昨日の事の様に思い出されます。
こよなく 晴れた 青空を
悲しと 思う せつなさよ
うねりの 波の 人の世に
はかなく 生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の 鐘が鳴る
これが、「長崎の鐘」の歌い始めの言葉です。
*永井博士の事については、検索して頂けば殆どの事は判ります*
永井博士は43歳の若さで逝去されています。
被爆して療養を続けながら執筆なさった事が残されています。
原爆も大変な事でしたが、原発もこの先の見通しが付かず
苦しみの連鎖の始まりです。
どうすれば、1945年以前の恐怖の無い世界になれるのでしょうか?