黄葉
稲沢市祖父江町は私にとってはとても懐かしい町です。
時代は遡りますが、まだ祖母が健在な頃には祖母が里帰りする時は
必ず連れて行って貰いました。
と、言うのは、祖母にはまだその母親が生きていたのです。
今の様に、電話が発達して、連絡が早くとれる時代では
有りませんでした。
祖母の母親は、大お婆ちゃん、と呼んでいました。
「sumikoは来たのか・・・?」と視力が弱った眼で
私を探しました。祖母は『連れて来たよ・・・」と
耳元で私を連れてきた事を伝えます。
とても嬉しそうな顔をして、嬉涙を流していました。
「おばあちゃんは、何で泣くの?」と何も判らない私は
祖母に尋ねました。
きっと、毎日が淋しいのでしょう、娘が孫を連れて来てくれる。
それだけで、涙を流して喜んだ、大お婆ちゃんの事覚えています。
祖母の実家には、樹齢何年とも判らない大銀杏が有りました。
その大銀杏は今どうなっているんだろうと、ふと思いました。
本当は、ゆっくりと出かけたいのですが、他の用を兼ねています。
祖母の実家には父親の従妹に当る人が住んでいます。
実に懐かしい場所です。
一寸遅かったのですが、祖父江を通って岐阜へ行く事にして
祖父江の街道沿いの銀杏の黄葉を撮って来ました。
まだ、この木は若い木ばかりです。
銀杏の実を収穫する為の銀杏です。
中には形の良い木も有りました。
既に盛りを過ぎた今年の黄葉ですが、名古屋市内で
見る銀杏の黄葉とは違いました。
銀杏の葉っぱの絨毯が既に出来ています。
家を出る時は曇っていましたが、丁度祖父江町に着いた頃は
空は晴れて来ました。
一週間前だったら、こんな風に淋しい枝先は無かったでしょう。
昨年は、もう少し早めに同じ道通りましたが、生憎の雨で
写真は諦めました。
時代は遡りますが、まだ祖母が健在な頃には祖母が里帰りする時は
必ず連れて行って貰いました。
と、言うのは、祖母にはまだその母親が生きていたのです。
今の様に、電話が発達して、連絡が早くとれる時代では
有りませんでした。
祖母の母親は、大お婆ちゃん、と呼んでいました。
「sumikoは来たのか・・・?」と視力が弱った眼で
私を探しました。祖母は『連れて来たよ・・・」と
耳元で私を連れてきた事を伝えます。
とても嬉しそうな顔をして、嬉涙を流していました。
「おばあちゃんは、何で泣くの?」と何も判らない私は
祖母に尋ねました。
きっと、毎日が淋しいのでしょう、娘が孫を連れて来てくれる。
それだけで、涙を流して喜んだ、大お婆ちゃんの事覚えています。
祖母の実家には、樹齢何年とも判らない大銀杏が有りました。
その大銀杏は今どうなっているんだろうと、ふと思いました。
本当は、ゆっくりと出かけたいのですが、他の用を兼ねています。
祖母の実家には父親の従妹に当る人が住んでいます。
実に懐かしい場所です。
一寸遅かったのですが、祖父江を通って岐阜へ行く事にして
祖父江の街道沿いの銀杏の黄葉を撮って来ました。
まだ、この木は若い木ばかりです。
銀杏の実を収穫する為の銀杏です。
中には形の良い木も有りました。
既に盛りを過ぎた今年の黄葉ですが、名古屋市内で
見る銀杏の黄葉とは違いました。
銀杏の葉っぱの絨毯が既に出来ています。
家を出る時は曇っていましたが、丁度祖父江町に着いた頃は
空は晴れて来ました。
一週間前だったら、こんな風に淋しい枝先は無かったでしょう。
昨年は、もう少し早めに同じ道通りましたが、生憎の雨で
写真は諦めました。
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