おいりゃぁすわせ〜〜

変なタイトルですが、標準語で言えば「お出で遊ばしませ〜〜」でしょうか。 from 19-September-2005

December 2009

呼び掛けの言葉は!?5




街を歩いていて良く色んな宣伝の係りの人に声を掛けられます。
皆さんはどのように声を掛けられていらっしゃいますか?
見た目だけで「おばあちゃん!、これどううぞ!!」と話しかけられたら?
貴女はどんな反応をされますか。。。
自然な成り行きで、見た目年取っているから?お婆チャンと
呼び掛けたのでしょうが、これは実際にその人がお孫さんでも有って
本当の「おばあちゃん」なら納得でしょう。

でも、「私、孫がいます」と何処かに記して歩いている人は何処にも
いません。あはははっ・・・。
そこで「おばあちゃん!」と呼びかけられた私は
イラッと来ました!! 大人気ないけれど。。。
幾ら年取って見えようと、宣伝の係りの人に「おばあちゃん」と
呼ばれる筋合いは毛頭有りません。
まだ「おばさん!」なら許容の範囲、「おばあちゃん!」呼ばわりは
イラッとしましたね。
女心としては一番言われたくない「おばあちゃん」呼ばわり。

その時私はその男性に言ってやりました。
「私ね、孫がいませんからおばあちゃんじゃないの!!」と。(大嘘!!)
「あっ、そうっすか、失礼しましたっ!!」と。
判れば良いです、自分の呼び掛けの言葉で人がイラッとして
しまう事が。
実際には私の息子には娘がいて、れっきとしたおばあちゃんですが、
無差別に「おばあちゃん」呼ばわりはして貰いたくないからです。

おばあちゃん呼ばわりに何故こんなにイラッと来たかと言えば
言葉の使い方を余りにも知らないからです。
女性を見たら、せめて「おばさん」位で止めて欲しいですね。
これ、偽らない女心ですよ〜。


大晦日にこんなボヤキ節は似合いませんが
今年一番イラッとした事書き込んでしまいました。
あぁ~、恥ずかしい。。。


拙いブログへお越しくださる皆様
一年間お付き合い頂きまして
有り難うございました。
良いお年をお迎え下さい。
来年も宜しくお願い致します。






意欲的な紳士!!5

最近私は日が暮れるのが早いし、寒いし・・・。
近場で殆ど写真を撮っています。
地下鉄を利用すれば市内ならどれだけ乗ってもフリーです。
郊外に住む人達は一応に羨ましがります。
一定の年齢に達すると公共交通のパスが配布されるので恵まれています。
恵まれているとは言っても、これまでの長い年月市・県民税は想像以上に
沢山支払って来ました。



もう直ぐクリスマス 3



いま、少しずつ優遇して貰わなくては、この土地に生まれ生活した
意味がありません。
それで、市が運営する「ランの館」へも頻繁に通っています。
通常の大人入場料は「700円」必要です。
しかし公的な「市」の手帳を提示し本人と確認が出来れば「200円」で
入場できます。
私は毎度チケットを買う事も面倒なので一年間有功のパスを買っています。
一年間何度通っても「900円」で楽しめます。

そんな中、人柄の良い高齢の紳士が話しかけて来ました。
彼は身長は有っても体力的に一眼レフを持ち歩く事が出来ず
コンパクトデジカメで花の撮影をしていました。
「僕ね、70歳を過ぎてからカメラを始めましてね、苦労をしてます!!」と。
穏やかな語り口の男性で、私も安心して話をしました。
「一寸辛いけど、一眼レフ持って来ようかな〜」とも。

「先日、写真のプリントだけが出来るマシンを買いましてね、今
 夢中になって印刷をしています!!」
「そうですか、頑張って下さいね!!」と私。
「これが上手く行ったら、今度はパソコンに挑戦してみますよ・・・」と。
中々意欲旺盛な方です。
70歳を過ぎて尚今の時代に沿う事を練習したいと思う人はかなり
少ないです。
これからパソコンの練習に取り掛かるとなると、又一苦労も二苦労も
出てきます。
でも、意欲的な人は端から見ていても気分が良いですね。






お正月の餅  ☆ー(^_-)-☆5

昨年はお正月の餅は全く作りませんでした。
実際その様な事になってみると淋しい事ですが意欲も出て来ませんでした。
今年は再度意欲を取り戻して、自宅で鏡餅を作る事にしました。
一人では大変な事なので、長男と娘が手伝いに来てくれました。
僅かな餅しか作りませんが、やはり一人では一寸辛いです。


葉牡丹


新年を祝うのに「雑煮」は必ずつきものです。
おせち料理も昔のように作らなくなりました。
家族構成が変われば自然にお正月の姿にも変化が有って当然です。
手分けをして手伝う人手が有って、まだ恵まれた状況です。
孫娘も中学2年生、色々大人の世界のファッションを垣間見て
お洒落を始める年代です。

私が行きそびれて居た「100円ショップ」へ買い物に行って貰いました。
僅か2〜300円の買い物ですが、お釣りを見たら「消費税」が払ってありません。
「私が消費税払っといた・・・」と言います。
「じゃ、消費税払うよ・・・」と言って小銭を渡しました。
「消費税は払っておいた!!」このウイットのある言葉に、心の成長を
感じました。

一人で艱難苦労する事はありません。
家の事を継承させる事も大切な事なので良かったと思っています。
色々経験をして、大人になって行くと将来きっと役立つ事でしょう。
私も年末は小さな頃から、家の手伝いをして育ちました。
何もさせない事が、子供のとっては一番のマイナスでしょう。




友達からの電話 ♪♪

少し早目に昼食を済ませて買い物に出かける予定にしていました。
電話のベルです。
最近は怪しげな電話が良く掛かりますので用心をしています。
例え女性の声であろうと用心に越した事はありません。



キンカチャ


年の瀬の忙しい時に誰かな?と出てみました。
心配はありません、友達でした。
「今年はお世話になって、有り難う!!」と言った趣旨の年末の挨拶です。
そんな畏まった事しなくても、良いのに・・・、と思いましたが
折角話がしたくて電話をして来た人に「手短にお願します!」とは
言い難いです。

それで、つい話をしている内に正午を廻ってしまいました。
その時私は自分に置き換えて、素っ気無く電話を切られたら
きっと後味が悪い事でしょう。
そんな事を思いながら、お互い普通の話ですが、一とき話をして
相手も満足したのでしょう、「じゃ〜、良いお年を迎えてね!!」と
言ってくれました。




電話会社が儲かるはずですね
彼女は毎月通信費にどれ程費やしているのだろう?と考えてしまいました。
恐らくあの調子では、私より遥かに付き合いの多い人ですから
私の「倍以上」の電話料金を使っているのではないかしら?と
思いました。
でも、自分の予定が多少ずれましたが、電話を貰って確かに
嬉しい気持ちになった事は事実です。



クリスマスが済んで・・・5

クリスマスも済んで静かになりました。
これまで、クリスマスのイルミネーション一色だった街の中も大急ぎで
新年の飾り付けに変えなくてはなりません。
本当に今年も押し詰まって来ました。
我が家では恒例の「仏壇の清掃」を昨日行いました。



クリスマスの飾り



今年は次男が都合が付いたから娘を連れて手伝いに来てくれました。
こまごまとした仏具のお磨きは、手分けをして何人かで取り掛かれば
早く出来ます。
約2時間で完了しました。
息子は「血の繋がりのある」妻の実家の仏壇の清掃も「手伝わせる」と
言い出しました。
孫娘は「手伝いに行く」と言っています。

お父さんの生まれた家とお母さんが生まれた家は彼女にしてみれば
同じ様に大切な所です。
仏壇やお墓の清掃に関わる事で、先祖の祀り方を学んで行って貰えれば
嬉しい事です。こうした機会を捉えて家族としての絆を
強めていく事も必要な事と感じました。



最高のプレゼントって何だろう? (ピックアップテーマ)5

敢てクリスマスに「最高のプレゼントは何だろう?」と言う
ピックアップテーマに参加をしてみました。
毎年クリスマスが来る度に感じる事は、本当の「プレゼント」は
何だろう?と考えてしまう事でした。
物質社会となり派手に若い人向けのプレゼント用の品が街を彩ります。

長年暮らして来て、思った事は「物」じゃないと言う事でした。
物は要らない!!
じゃ~何が欲しい?と聞かれた時
即座に私は「健康」と答えたいです。
物質に恵まれても何かの病に苦しんでいては辛いだけです。
逆に貧乏していても、健康に恵まれていれば、暮らしは
何とかなって行きます。

私にとって、最高のプレゼントは
「健康な身体」です。
この世に送り出してくれた両親への感謝の気持ちは絶大です。
そして、父親と夫からは「人様に尽くす」精神を培って貰いました。
これは、自分が生きて行く上で最も大切な事と感じております。

月並みですが、物質ではなくて
「健康な身体」が私にとっては最高の親からの
プレゼントです。



もう直ぐクリスマス 2


私の大切なサンタクロースは
両親・育ててくれた母親・夫・夫の母の持っていた
目には見えない心の持ち方の影響力でしょう。
生みの母親は早逝しましたので育ての母親にも感謝です。









年賀状出しました!!(^^♪5

悪戦苦闘の末、とうとう完成した来年の年賀状。
提出日が12月25日であれば、確実に元旦の配達に間に合います。
郵便局では良く知り合いに出会います。
昔「市場」が有ったころ、そこで商いをしていたおばさんに会いました。
愛想が良くて、頭が低い彼女は、商いを辞めた今でも昔と変りません。



ビオラ



「久し振り!!」と言って、話し出した事は思いがけない事でした。
息子さんが折角結婚したのに結婚生活を2年程で終止符を打ち
親御さんの所へ戻って来てしまったのだそうです。
商いをしていた頃からの付き合いで、信頼する税理士さんの紹介で
結婚をしたのだそうです。

この辺りでは、結婚に向けて「大丈夫か?」と考える時
「聞き合わせ」をする習慣があります。
信頼する税理士さんの紹介なので「聞き合わせ」はしなかったと
彼女は言いました。
「聞き合わせ」をしても、結婚相手の女性の近くの人は、余り
正確な事は言いません。
当たり障りの無い事で波風を立たせない事を願います。

結婚した息子さんは、2年間「朝食」を作って送り出して貰えず
自分で作り働きに出ていたと聞きました。
女性は「三食・昼寝つき・やりたい放題」の暮らしぶりだったと
その母親は嘆きます。
挙句の果て高級ブランド志向で・・・。

そんな話を聞かされて私はショックを受けましたが、親御さんは
もっと、もっとショックが大きいでしょう。
寡黙になってしまった息子には、これまでの事を忘れて
「再婚」を薦める人も沢山有るそうですが、過去の結婚を顧みて
「女性恐怖症」になってしまい親御さんとの会話も無いそうです。

「今日はsumikoさんに会えて良かった!!」と言ってくれました。
高価な結婚指輪や、高級ブランド品は全て女性が持って行ったそうです。
何か割り切れない気持ちになりましたが、こうした女性とは知らずに
結婚した男性は気の毒です。
高い月謝を払って人生勉強をした事になりますね。
クリスマスイブの日、本来ならば
メリークリスマスですが、メニークルシミマシタ!!の母親の姿は
相当お窶れの様子で、慰めの言葉が見つかりませんでした。









マレーネ デートリッヒの事  (^_-)-☆5

父親は大の洋画フアンでした。
今の様に海外旅行など夢物語の時代に生きた父親です。
学校の映画鑑賞会で観たフランス映画には大変魅力を感じて居たと
聞いています。
学生時代には、英語の教師は女性の外人さんが教えて呉れていたようで
語学の勉強には人一倍努力をしていた節が見受けられます。
そんな父親から聞いていた
マレーネ デートリッヒの話は子供心には余り興味が有りませんでした。
でも、今になって、デートリッヒがこの世から去っても、尚人々の
心を虜にする要素が色濃く残っている事に気がつきました。





私はこの年齢になっても、まだデートリッヒの映画を一本も観た事が有りません。
父親達の世代は、きっと彼女のあの退廃的な美しさと、けだるくもの憂い声が
堪らない魅力だったのだと考えています。
映像の世界も、音声の世界も今は誰もが検索して見たい物が見られます。
私がデートリッヒの「リリーマルレーン」の歌を聞いたのは
7〜8年前の事です。

父親はデートリッヒの映画も見ているから、彼女の事を
子供の私に話してくれたのでしょう。

今にして思えば彼女が愛したのはフランスの俳優「ジャン ギャバン」で
有ったとか・・・。
正式な結婚をしていながらのジャン ギャバンとの恋。
一寸信じがたい事ですが、そうした恋も女優としての厚味と巾を広げた
可能性があったかも?

ジャン ギャバンの映画は私も観た事ありますがデートリッヒとの事は
知りませんでした。
自分の意志を曲げないで生き抜いた女性マレーネ デートリッヒ。
第二次世界大戦の頃は一番苦難に満ちた時代であったと思いました。

兵士を慰問する彼女の姿・・・。
そこで歌われたリリーマルレーン、戦争が済んでもう64年が過ぎました。
それでも私の心に深く入り込んだ「リリーマルレーン」

デートリッヒが長生きをして、来日を2度もしています。
平和な時代に来日できて良かったと思いました。






猫は人を裏切らない!!5

動物h言葉が話せません。
気紛れな人間の精で、捨てられる運命になった猫達は
「人の精で」野良猫にさせられています。
私が花等を撮影に出かける名城公園の中には、全体で260匹程の
飼い主から見捨てられた猫が暮らしているとの事です。

同じく公園で暮らす「おじさんたち」が自分の生活も最低の中
猫に食べ物を与えています。
市の条例では「無闇に餌を与えてはいけない」事になっています。
然し猫も食べ物が無ければ命を永らえる事が出来ません。
ぴかぴかの毛並みの良い猫が何匹か居ます。

捨てられたその日から、担当を決めて何人かで分担して面倒を
見ていると、聞きました。
ドライフーズで良い猫も有れば、猫の餌にしては高い「鮪の缶詰め」しか
食べない猫もあると言います。
どんな暮らし向きの家で飼われていたのか、良く判るのだそうです。
私は「おじさんたち」が余り見栄えの良いとは言えない服装を
していても、猫を公園に捨てに来る人の気持ちより、優しさが
有ると感じています。

「猫は裏切らないから、可愛いですよ!!」と目を細めます。
乏しい財布を叩いて買う猫の餌は「鮪の缶詰め」3個で358円。
彼は「高い餌です」と言います。
自分は一体どんな物を食べているのでしょう。
「写真、撮らせてね」と言ってシャッター切ります。
どんな人にも人としてのプライドが有ります。



cat















cat















cat

















どの猫も栄養状態は良好な感じです。
食後には自分の唾液で毛繕いをして体を綺麗にするのだそうです。
捨てられた事は不運でしたが、こうした心優しい人達に護られて
却って幸せかも知れません。

捨てるなら、飼ってはいけません。

ぼろは着てても心は錦・・・。
何処かで聞いた様な言葉です。









植え込みの中へ!!  (@_@;)5

公的な機関は月曜日は殆どお休みです。
唯一ヶ所だけ開館しているのが「ランの館」です。
近くなので散策を兼ね、買い物を兼ねて出掛けています。
ここ一年程良く出掛けています。
昨日も観察して撮影をしたい花が有りましたので出かけました。
ボランティアガイドさんも多数登録していらっしゃいます。
判らない事はその人達に尋ねても、ちゃんと教えて貰えます。

クリスマスを前に月曜日でも午後4時30分からミニコンサートが
開かれる事になっていました。
女性の5人グループがジャズのスタンダードを歌います。
リハーサルを聞いただけで、私は遅くなるので帰るつもりでいました。
所がです、ここで、鞄に収めようとカメラのキャップを付け損ない
事も有ろうか、クリスマスの花の飾って有る植え込みの中に
転がり込んでしまいました。

高価な花を勝手に触る事は出来ませんので、係りの方にお願いして
キャップを探して貰いました。
幾ら探しても見つかりません!!
「一週間後に飾り付けを変えますので、それまで待って下さい」と言います。
そうは言う物のレンズの保護にはキャップは欠かせません。
ミニコンサート所では無くなりました。
10分、15分と時間を掛けて探して貰いました。




border














綺麗に飾り付けてある中央の植え込みの中です。↑↑↑

有りました!!
遂に出てきました!!
「どうなるかと思ったけれど、良かったです!!」と係りの人も
安心してキャップを渡して呉れました。
植え込みの近くでは、キャップは絶対触らない事にしました。
係りの人に迷惑を掛けましたが、良い経験になりました。
心して気を付けたいと思いました。
恥ずかしい話ですが、昨日の私の失敗話です。









今年最後の墓参り5

>息子達と約束をしていた我が家の墓参りの日。
それは12月20日でした。
18日にこちらも今年の初雪が降り冷え込みました。
都合の良い家族だけでお墓の清掃を念入りにして、ご先祖に今年一年何とか
暮らせた事を報告しました。
都会に降る雪は車の通行で直ぐ消えてなくなりますが、伊吹山に近い岐阜・羽島市では
想像以上の積雪が有ったようです。
街中とは違いそんなに車が走る事は有りません。
名古屋ではこんなに真っ白な雪景色は殆ど見られませんでした。

果たして墓参りに行けるだろうか?と一時は思いましたが道路の雪は順調に
解けて支障は有りませんでした。
愛知県と岐阜県の違いをこの雪景色を見て感じました。
本当は23日に行きたかったのですが、家族の都合もあり20日に出掛けられて
良かったです。
これで、お正月のお墓の花は31日の午前中に次男が取り替えに行ってくれる
事になっています。
やはり、家族はお互い声を掛け合って、出来る限りご先祖の眠る墓の清掃や
祈りを捧げる機会を作って行きたいと思っています。
これまでは私一人でしていた事も息子達に継承して貰わねばなりません。



12月18日の雪 2



お墓へ行く途中の雪景色です。名古屋とは降り方が違いました。↑↑↑

新しい時代になって、先祖の祀り事の有り方にも変化の兆しが見られます。
世代が交代する度に付き合い方にも昔通りではいけない部分も出てきています。
私の家も息子達の意志も尊重して、これからの祀り事の有り方を模索中です。










写真展

その写真展はもう何年か前から見ていますが
女性の細やかな優しい眼差しで、ポルトガルの人々や美しい
風景を撮っています。
何時も感じる事は、撮る人の心の持ち方で、きっと現地の人も
直ぐに彼女のフアンに成ってしまっている様子が窺がわれます。

写真の撮影だけでは職業としては、厳しいので本職を持ちながらの
ポルトガル行脚です。
スタッフ共に、予算を計上して、安いホテルに泊まり自分で歩いて
その瞬間瞬間を切り取ってきているのだそうです。
私は、不思議に彼女の撮る写真から、人々の飾らない日常の姿や
人間としての温もりさえも感じてしまいます。

今回は5月末から6月にかけての撮影であったようで
ジャカランダがとても綺麗で、私の胸はときめきました。
殆ど日本の気候と同じようで、体感的には何も抵抗は無いとの
事でした。
治安も良いとの事で、毎年出掛けても不安は無いとの事でした。


photograghic






















写真展を見に行き、気に入った写真が有ると買ってきます。
はがきサイズは比較的安価ですが2Lサイズになるとお値段も
グッと上がります。
ポルトガルにジャカランダがあるとは知りませんでした。
日本の桜とはまた違う魅力がある様に感じています。
小柄な体格でよく頑張ります。
今となっては、叶わない夢ですが「行ってみたい国」の一つに
成りつつあります。
「フランスやイタリアより、よほど良いですよ〜」と説明します。
う〜ん、行きたいなぁ〜。
でも、無理だなぁ〜。



もう、本気にならないと・・・ (^^♪5

12月も既に半ばを超えてしまいました。
何をするでもなく、時間だけが駆け足で過ぎて行くような
気がしています。
そろそろ、年末年始の花を調達しなくてはなりませんが
どんな花が有るのか、時間が許す限り出ている花を下見をしています。



シンビジューム



最近は切花での活け花はもう止しました。
シンビジュームや胡蝶蘭等の鉢物が結構便利です。
切花を生けるより、遥かに花は長持ちするのです。
迷いながら下見をしている間が、気忙しいですが
一番楽しいのかも知れません。
年末年始は何かと物入りですが一年の締めくくりと
事始なので、何時もとおりの予定で買う事になると思います。

でも、まだ迷い中です。
今年はどんな花とご縁が出来るのかな?こんな
優しい色合いのシンビジュームがあると良いですが。。。










魅惑のポインセチア!!

今はクリスマスを前にポインセチアが沢山花屋さんの店先に
並べられています。
勿論私達が一番見慣れているのは、真っ赤なポインセチアです。
子供の頃に日本にクリスマスが知られるようになり、小さな先の尖った
木を買って、色紙で作った飾り付けをして楽しんだものでした。





限りませんから。
時を経て今では眼を見張るような豪華賢覧の電飾で街の中は別世界の様に
華やいでいます。
子供の頃に初めて見たポインセチアの「赤」は大変衝撃的でした。
全くクリスマスの花や飾り付けの「木」に付いて知識が無かったからです。
今は栽培農家も増えて、ポインセチアの栽培も品種改良も盛んに行われています。
ポインセチアは「真っ赤」と言う事が頭から離れない私でしたが
そんな事とは関係なく園芸に携わる人達は、研究を重ねて新しい事にトライ中です。

色んな色のポインセチアが出現して、消費者としては嬉しい限りです。
迷いますね〜。
でも、ポインセチアは真っ赤が良いのかなぁ〜と、自問している自分も有りますよ。
どのようにして栽培されたのか私には判りませんが、初めて見た
「紫色のポインセチア」魅惑的な色だなぁ〜と、暫く見とれていましたね・・・。

でも、買うには一寸勇気が要りますね、来年はどんな色になってしまうか
判らないからです。
来年も同じ様に「紫色」が出てくれるとは限りませんから。






見えて来ない生き方 (@_@;)

最近「草食男子」と言う言葉を良く耳にします。
時代遅れの感覚の私には余りピンと来ない言葉ですが、良く聞きますね。
そういえば遠縁に当たる子で、東京の或る有名大学を卒業して、一時は
就職をし、働いて自分の生計は立てていました。
所が何が原因か判りませんが、就職先も自分の判断で辞めてしまい
一人東京で暮らしていました。
私はこの事に付いて詳しく聞きだすことはしませんでしたが
職業が無ければ収入の道も途絶えます。
何をして、会社を辞めてから収入を得ていたのか全く判りません。
居住する限り持ち家で無い限り、賃貸料を支払ってか、又は安い宿に
住まわなくては成りません。




一度東京で暮らすと中々生まれた土地へは帰らない事が多いみたいです。
最近になって聞こえてきたのはその子が実家に戻り、親子3人で暮らして
いる事が判りました。

じゃ~こちらで良い就職先でも見つかったのかなぁ〜、と思いました。
遠縁の人は、何時も私と会うと子供の事に関しては何も話したがりません。
でも、その子はもう18年も前に大学を卒業しているのです。
本来なら結婚をしてちゃんとした家庭を築き上げる年頃ですが
一向に働き口も探そうとしません。
折角親が苦労をして、辛い思いをして仕送りをして教育を付けたにも
関わらず「我、関せず」の状態なのだそうです。

組織の中で働く事を嫌う若者達。
自由を熱望する事は結構ですが、実家に舞い戻り未だに親に食べさせて貰う
柔な根性が私には理解出来ません。
「この先が心配だから、息子の国民年金を支払ってやっている!!」と聞いた時
私は唖然としました。
毎日、親は老いた体に鞭打って、一生懸命働いています。


本末転倒!!
情けない思いがこみ上げて来ましたが、よそ様の事。
子供孝行をしても親孝行はして貰えない哀しいお話です。
こんな子の事を「草食男子」と言うのですかね〜。
草食男子の意味が違う?そうかもしれませんけれどね〜








銀杏の贈り物〜 \(^o^)/5

昨日近くの八百屋さんへ買い物に出掛けて帰宅したら
郵便局の赤い車が自宅の前で止まりました。
「sumikoさん、お届け物です!!」と配達のおじさん。
先日まで、マリナーズのイチロー選手の記念切手アルバムの配達で
フル回転していたおじさんです。

「グッドタイミングでしたね!!」と笑っています。
「そうね、お宅の会社とは心が通じ合っているのかもね!!」と
私にしては思いかけない冗談も飛び出していました。
最近の配達業者の人達は、顔なじみになると、お客の心を
惹き付ける為の練習もしているのか会話も上手いです。

何処も競争です。
一人のお客も逃がさない様な覚悟で接客に励んでいる様子が
判ります。
先日思い付きで出掛けた、祖母の実家稲沢市祖父江町。
そこには血縁の有る「また従姉妹」が住んでいます。
黄葉祭の最中で、一日楽しい時間を過ごしてきました。

特産の銀杏が手に入ったからと、そのまた従姉妹からの
贈り物でした。
確かに昔から私は美味しい銀杏を食べていました。
遠い日の祖母の事がお互い思い出される「銀杏」です。


gift
















何年ぶりかで会った私達ですが、子供時代の無邪気さが直ぐに戻り
薄い血縁でも確かに血の繋がりの有る「また従姉妹」。
まだまだ話し方が足りなくて、また「来て!!」と言います。

銀杏を受け取ったと、お礼の電話を入れましたが
電話をしたら中々話が途切れません。
電話は長くなりますが、また年が明けたら私が
会いに行く事を約束して電話を切りました。



giftgift







スーパーでも売っていますが、栽培農家のブランド名が有りません。
贈って貰った銀杏は立派な大粒の物です。










ブログ『開設4周年』です!! (^_-)-☆  5

早いもので2005年12月15日にブログを開設して「4年が」経過しました。
開設した年は、丁度「愛・地球博」が開催された年でした。
4年は実に早く過ぎ去って行きました。
愛・地球博の事を書きとどめて置きたいと早い時期から準備は
していましたが、開設の運びとなったのは遅れに遅れて
12月15日になってしまいました。
手探りで始めたブログも、日々更新は一寸きつい時も有りましたが
騙し騙しの時の流れとなりました。



電飾
 

電飾の光のように↑↑↑「キラッ」と輝きたい所の私ですが残念ながら
くすみがちです。(笑) 


もう少し面白みの有る内容にしたいのですが、思うように発想が
湧き出しません。
従って身近に起きた事や、自分の失敗談が多くなっていて大いに
恥ずかしいと感じています。
平凡な暮らしですが、時には感動した事や嬉しかった事等色々有ります。
他愛の無い事ばかりを書き込んでいますが、普通の「おばさん」なので
仕方ない事と考えています。

思えば4年間に沢山の方々に心温まるコメントを頂いたり
励ましの言葉を頂き有り難うございました。
お顔は見えなくても、色んなご意見を聞かせて頂きこのブログを
通して気持ちも温かくなって来ます。
お出で頂き、拙い書き込みを読んで頂くだけで、幸せを感じます。
何人の方がお出で下さっているのか、私には日々判っております。
お出で下さる方がお一人でもいらっしゃる限り
このブログ継続したいと考えております。

皆様のお力添えで此処まで続けられました事を
重ねて厚く御礼申し上げます。

健康に気をつけ、残された時間はそれ程多くは有りませんが
健やかに生き続けたいと願っております。
今後とも宜しくお願い申し上げます。






プリンセチア (^^♪5

クリスマスを前にして、ポインセチアやシンビジューム、胡蝶蘭等が
花屋さんの店頭を賑わしています。
今年はどんな花を買おうかと見ていますが、未だ決めていません。
可愛いポインセチアを見つけました!!
これ、買おうかなぁ〜、と考えていました。
ふと、名前を見て「プリンセチア」と言う文字が目に止まりました。
う〜ん、聞いた事無い名前だなぁ・・・。
新しい品種かなぁ、と思ってジッと眺めていました。


プリンセチア




直ぐ近くにこれも、新しい色のポインセチアが並んでいます。
プリンセチアとポインセチアと何処が違うんだろう?
確かにポインセチアは花芯の周りの苞が「ピンと立ち上がって」います。
それに比べてプリンセチアは苞が平らな感じです。
それだけの違いなのか?定かではありません。
次に花屋さんへ行ったら、聞いてみたいと思っています。
真っ赤なポインセチアは長年見慣れてきましたが、こんなに色も
変わったのが栽培出来るとは夢の様なお話です。



ポインセチア


どちらも、綺麗ですね!!

ポインセチアやプリンセチアに関する歌がわかりませんので
普通に良く歌われる「もみの木」を選んでみました。
↓↓↓









勘違いをした人の話し・・(^^♪ 5

2〜3日前の事ですが同じ自治会の人が
「回覧板お持ちしました〜」と言って我が家へやって来ました。
彼女は「組」が違う人で、勘違いをして組の違う私の所へ来たのでした。
勿論「女性会」その他の会も有りますので『女性会』の回覧板と
思って受け取ろうとしました。



ゆりかもめ 2



所がその女性会の回覧板は何時も直接受け取った事はなく
ポストに差し込んであります。
直接持って来るなんて「変だなぁ?」と思い色々尋ねた所
女性会の回覧板では有りませんでした。
通常の自治会の回覧板です。

彼女はきっとウッカリして勘違いをしていたのでしょう。。。
何時もは余り話はしないのですが、彼女のウッカリが元で
かなり長い事話をして行きました。
何故自分の家の「組」の人に持って行かなかったのか
きっと思い込みが強かったのでしょう。

私も時々「ウッカリ」が有るのです。
若い人でも「ウッカリ」も有れば「勘違い」も有ります。
我が身を振り返って
「あぁ〜あぁ〜、あの子もいい年になったんだなぁ〜」と。
人は決して若く成る事は有りませんが、あの若い子でも
勘違いをするのかと思うと、私の勘違いは当然と言えば当然の
成り行きでしょう。

若い人と「勘違い
」のお陰で会話の機会を得て、これもまた
楽しい事でした。



気の利いた記念品・・・(^_-)-☆5

或る催事の案内状が届いていました。
毎年その催事には出掛けていますが、殆ど眼の保養をするだけで
何も買いません。
以前はK24と言われる純度の高いコインを偶さかに買ってはいました。
今は何も手が出ません。
不景気な社会情勢の中、お金持ちの人達は想像も付かない高額な
宝飾品を買い込んでいるようです。



記念品です


私は丁度『琥珀』のコーナーで、展示物を見せて貰っていました。
何も買いませんが、今年でなくても「来年でも宜しく・・・」と言って
ボールペンを係りの人が呉れました。
ボールペンの上部には琥珀の切りくずが入っています。
水に浮遊した琥珀は、文字を書く時には下の方に沈殿します。
横にしたりすると、琥珀が散らばって、綺麗です。

切り出し屑でも、立派な琥珀には違い有りません。
記念品を呉れた人に感謝です。
大切に使いたいと思いました。






お歳暮の定番と言えば?  その 25

昨日の続きです。
今回のピックアップテーマが「お歳暮の定番と言えば?」と言う
事でしたので、色々貰う中で最も定着している物をご紹介しています。
共通テーマが提示されると、何となく書き込みをしてみたくなりますね。
12月に入ったと思ったら、もう10日が過ぎて行きました。
大昔の事ばかり持ち出していますが、昔のお歳暮商戦は今のように
早くはありませんでした。
配達の人はデパート専属の配達員が居て、デパートのマークの入った
大きな自転車に、積めるだけ荷物を積んで、自転車での配達でした。

今のように、車社会ではなかった時代、配達のおじさんは自分の足で
自転車を漕いで一軒、一軒配達したものです。
配達だけで生計を立てる時代、デパートの指定を貰う事はその人の
信用問題にも関わる大変な『名誉』と考える時代でもありました。

昔話はいい加減にして・・・。
やはり私の所に届く定番は『日本茶』と『麺類』ですね。
どちらも日々の生活には欠かせない物ですから貰って
嬉しい『定番のお歳暮』と言う事になりますね。

一時は虚礼廃止、と言う事も言われましたが、やはりお中元や
お歳暮は夫々経済の波及効果も有りますし、日頃のご無沙汰を
形に変えて交流を活発にする良い機会でもあり、日本の
伝統的な文化とも言える様になって来ています。
高価な品を贈る事は出来ませんが、負担にならない程度なら
良い日本の慣例だと考えます。


gift
















気の利いた贈り物に感謝をしています。
贈り手のセンスが光ります!!

お歳暮の定番と言えば?  ☆-(^_-)-☆5

自分が物心付いた頃から『お中元』や『お歳暮』は届けられていました。
勿論実家の両親や祖父母と暮らしていた頃の事です。
物資が乏しく、お互いが貧しかった事も有って、比較的質素な
品物が届けられていました。
父親の交流関係の広さから、色々な人達がお世話になった感謝の
気持ちを篭めて届けてきます。

父親は夫々、頂いた方には、それなりの『お返し』又は『お礼』の
気持ちを贈り返していました。
今もそんな事が思い出されます。
時代は経過して、私が現在行っている、お中元や、お歳暮は
ほんの少しだけの数ですが、親から受け継いだ習慣は守っています。
お歳暮の時期には比較的『日持ち』する物が好まれます。

私の兄弟達は日頃の生活パターンを知っていますから
出来るだけ、保存が効くものを送ってきます。
お歳暮の定番は「魚の切り身の味醂漬」やお正月に向けて
「昆布巻き」等が繰り返し送られてきます。
この商品は殆ど毎年我が家へ届くお歳暮の定番となっています。



gift 


 
  毎年、弟から
  贈って来る
  お歳暮の
  定番です。

  冷凍保存も
  出来ますので
  重宝です。

  
 








 gift

















このお歳暮は次男からの物です。↑↑
保存は効くし、お正月の料理の一品に加えられます。
まだ他にも定番のお歳暮は有りますが、また次の機会に
ご紹介したいと思います。
今年は何が来るのかな?と言う楽しみも有りますが、もうそんな
年齢でも有りません。

好みの定番のお歳暮を貰うのが一番嬉しいですね。







イチローの記念スタンプ (^_-)-☆5

高校野球の選手時代は投手として活躍していたイチロー。
あんな頃は「鈴木一郎」と、呼んでいました。
愛知県私学の4強の一角、名電高で活躍して居ました。
愛知県が産んだ大リーグのヒーローは意外に目立たない存在でした。
そのイチローが大リーグ移籍以来毎年200本安打以上の安打数を叩き出し
新記録を達成しました。
9年連続での200本安打達成は実に見事な記録です。

戦後シーズンオフに本場アメリカから来る大リーガー達を見て
日本人のプロ野球の選手の体格の貧弱さに先ず『勝てない!!』と
思ったものでした。
然し、現在はアメリカの野球に追いつけとばかりに必死になって
技術を磨き努力をして来た成果が出て、体格面でも、パワーの面でも
引けを取らない選手の育成に成功したと言えましょう。

そんな記念すべき「切手アルバム」が日本郵便から発売になりました。
町内の郵便局では何時も私は「如何ですか?」と勧誘されます。
野球は好きだし、増してや愛知の出身の「イチロー」の晴れ姿。
抵抗無く「予約」をしていました。

このアルバムが11月末日に掛けて、予約した人に配達されました。
年末で、唯でも忙しい所にこの切手アルバムの猛烈な売れ行き。
配達員は嬉しい悲鳴を上げていました。
もう、暫くの間は郵便局の記念切手は買わない事にしました。



stamp albumstamp album



















探していたアカシアの花!!5

もう何年前になるか忘れましたが、私のメル友さんから、メールが
届きました。
あんな頃には無愛想な文字だけのメールより、オルゴールなどの優しい
感じのするメロディーがあちこちのミディースタジオでDLする事が
出来ました。
ある時、この「アカシアの花」が添付されて来た時に私は本能的に
何か心惹かれるものが有りました。

皆さんの好みと多少時代的なズレガ有るかも知れませんが
「橋本 国彦」と言う作曲家の事に関心を持つ切欠となりました。
童謡からラジオ歌謡曲まで、判りやすいメロディーで音をつづり
親しまれました。




勿論彼は音楽の専門家としての最高の教育を受けています。
昔風に言えば「東京音楽学校」現在の「東京芸術大学」で
ヴァイオリンと作曲を学び、母校の教授として奉職していました。
後に文部省からの留学生として、音楽の本場「ウィーン」で学び
帰国しています。


1904〜1949の短い生涯でしたが、病には勝てなかったようです。
山田耕作と並び称せられる立派な音楽家だったと思います。







不景気風!!5

大体年に2度程庭師が近所を廻ります。
一軒仕事をして、お隣さんと雑談をしたりして顔なじみになり
会話が出来るようになり、気心が知れると、庭師も仕事のチャンスが
やって来ます。
元々我が家の庭へ「無断で入り」仕事をしていた時代も有りました。
一言「庭に入らせてもらいますが・・・」と
言葉を掛けるのは常識でしょう。
造園業の雇い人はそこまで気が付かなかったのでしょう。
息子の代に変わり、雇いの人は来なくなり、親からの地盤を
息子が引き継いだ形に成っています。



もみじ



息子の代になってからは「無断で」庭に入る様な事はしなくなりました。
そんな頃我が家には大きな八重の槿が勢い良く茂っていました。
手を入れるような木ではありませんでしたので、仕事は何もしませんでした。
何時ごろからか、槿が害虫に侵されて、急激に元気が無くなり、花も
咲かなくなりました。

そんなタイミングを見計らって、植木の苗をサービスするから
槿はもう「諦めなさい」と言い出しました。

そこで庭師に漸く仕事が廻って来たのです。
序だから、「レイアウトも一寸考えましょう」と言って
体裁よく直してくれました。
やはり、雇い人とは違います、自分で生計を立てなくてはならないので
どんな小さな仕事も引き受けます。

近所で4〜5件あったお得意さんに断られたのは「3件」
結局我が家とお隣だけの仕事しか有りませんでした。
今は木を撤去して「駐車場」にしたい家が多くあり、不景気と
相まって仕事の量も激減しているようです。
何時もの様な元気が無かった庭師のお兄ちゃん。
小さな仕事も、数の積み重ねです、頑張って下さい!!

今は冬。懐かしい小学校唱歌でも聴いてみましょうを!!








バーナーで焼かれて・・・2

隣の町内にある『飲食店』の話です。
夜中の2時頃まではお客が有り、お相手をしなくてはなりません。
看板になってから、店主達は自分の住まいへ帰ります。
夜明けまでの僅かな時間に店の入り口の「引き戸」の施錠がしてある
部分をバーナーで焼き切ろうとした形跡が窺がえます。

嫌な事ですね!!
幸い強化ガラスを使っていた為、焼き切るまでの時間が掛かり
木製の純和風の聞き戸の錠前は開かずに、木製の所が黒く焼け焦がれて
いました。
今は応急処置がしてあり、木片で補修がしてあります。
施錠をしていても、バーナーで焼き切られたら、何ともなりません。

その話を聴いて、私も近所の人も『身震いを』してしまいました。
何時、何処からそうした被害が発生するかも知れません。
女、年寄りが多くなった昨今は外からの侵入者にはきっと面と向かったら
抵抗は出来ないでしょう。
抵抗でもすれば、命を落とす可能性が大きい時代です。
幸い人的な被害は無かったものの、恐怖が走ります。

交番の直ぐ近くなのですが、交番なんて家を狙う人間にとっては
怖くも何とも無いのかも知れません。



door






















恐ろしいですね!!
人的な被害は無いと言っても怖いですね!!
お互いに気をつけたいと、気持ちを引き締めています。






息子からの電話〜 (>_<)2

暫く音沙汰が無かった息子から、外出中の出先へ電話が掛かりました。
自宅の固定電話は、何時も留守電を入れません。
それで、携帯電話が一番確実と思ったのでしょう。
何か声が何時もと違います。
どうしたのか?と聞きました。
『僕が最後にインフルエンザ貰っちゃって!!』と言い出しました。
と、言う事は散々家族の看護をした挙句の「貰い風邪」だったとの事です。
しかも「新型インフルエンザ」家族の中では長男達が一番早く「新型」を
貰った訳です。

街路樹の上にも落ち葉・・・




出先で貰った電話は騒音が入り聞き難いです。
私も色々買い物をして帰宅したかったので、簡単に話をしただけです。
暫くの間は私の所へは来ない方が良いかも知れません。
次男たちは、家族全員が季節性のインフルエンザの予防接種も
薬品不足で未だに接種していないと、聞いています。
年末は何かと多忙になって来ますので、健康面に注意をして欲しいと
思いました。
新型インフルエンザの予防接種は年明けにでも出来るのか未だ
判りません。









私の手元に残った物は・・・(^^♪5

もう遠い昔の事になりますが、息子達が幼かった頃、夏祭りに
着せた浴衣の帯は、私の箪笥の引き出しに終われたままでした。
昨年それを見つけ「リサイクル」して使おうと、思い付きました。
子供達は昔親が買ってくれた浴衣の『帯』の事など覚えていません。
二人の息子は年子で体の大きさも差ほど違いません。
何時も殆どが双子の様にお揃いの物を買っていました。

何年ぶりかで見つけた浴衣の『帯』は、懐かしさが甦りました。
お祭の日は浴衣を着て、夜店が出る神社へ行きました。
そもそもの目的は、お参りではなくて夜店で何かを買って貰う事です。
省みれば息子達が子供の頃には、まだそんな日本の夏祭りが
盛大に行われていました。
昨今ではご他聞にもれず『少子高齢化』となり、夜店も知らない内に
出なくなりました。

秋から冬に掛けてコートが要る時期に私は息子の使っていた
浴衣の『帯』をネッカチーフ代わりとして使ってみました。
意外な程の反響がありました。
「これって、なぁ〜に?」と聞いてきます。
「さぁ〜、何でしょうね!!」と茶化します。
「う〜ん、面白い!!」とブティックの人は言います。
種明かしをすると
「流石!!sumikoさん冴えているわね!!」と感心します。

そうなんです、古いものを利用する楽しさは格別です。
シルクの浴衣帯は想像以上に襟元が暖かく市販されていない
ものの面白みが発揮できます。
息子の使っていた物で、私の手元に残ったのはこの
浴衣の帯だけです。
どちらがコートの色に似合うのかな?
どちらの帯も私には愛着が有りますよ〜。


silk  どちらの息子が
  使っていたのか
  記憶は有りません。

  もう何年も前に
  買ったコートです。


silk  もうコートは
  新調する事も
  有りません。
  持っているのを
  充分に着たいと
  考えています。

  時代と共に
  コートの素材も
  変化をしています。
  軽くて温かな
  ダウンのコートが
  全盛です。


同じ色の帯では間違えるので、色だけを変えて買いました。
子育ての最中は子供の事で夢中になりましたが、今は・・・。
閑職ですね〜。
帯の色はどちらも私の好きな色なので交互に使いたいと
思います。






コーヒーブレイクを約束して… (^^♪5

同じ自治会では有りませんが近くの人と会えば必ず世間話になって行きます。
一度だけ街中で偶然出会いどちらからとも無く「お茶しましょうか!!」と
言って、彼女が行きつけのコーヒーショップへ行きました。
息子より2年ほど先輩になる娘さんが二人居ます。
娘さんをお持ちのお母さんとは、意外に友達が居ませんが、この方は
友達として付き合っても大丈夫な方です。



アネモネ



品の良さと常識ある態度、節度を弁えた言葉使いには好感をもっています。
近所では幾らでもコーヒーショップは有りますが、近所のお店は
会話を自然に聞かれて思わぬ所で内容が流れる事も懸念されます。
それで、何時かお互いに時間のある時に、街中のお店でゆっくりと
「腰掛けて話をしましょう・・・」と約束しています。
何時頃になるかそれは判りませんが、「お茶したい・・・」と
仰って下さる方が何人かいらして、私は嬉しい事と思っています。


私は聞いた話は他言はしませんし、変わった人と「お茶」しても
『☆☆さんと、お茶しましてね〜』等とは絶対言いません。
お互いが一対一の時は、会って「お茶」した事は他の人に告げない事が
懸命です。
例え「コーヒー一杯だけ」の友達でも、信頼できない人と一緒は
嫌ですね。







ショックを受けて!!5

一寸前、近くのコンビニでの出来事です。
息子の同級生の母親が若い女性とコンビニへやって来ました。
私は「こんにちは〜、お元気そうで良かった!!」と
話しかけました。
当然相手は私の事が判っていると思っていました。
所が返って来た言葉は意外な言葉でした。
「あなた様は何方様でしょうか?」と。
「sumikoですよ〜」と言いました。
「sumikoさんねぇ〜、何処のsumikoさんでございましょう?」と
聞き返します。

付いてきた若い女性は、敢て何も言いません。
私はショックを受けました!!
デイケアーサービスの女性スタッフが付き添っていました。


シャコバサボテン?



付けている名札を見て、確かに息子の同級生の母親である事を
確認しました。
こうした場面に遭遇して、普通に話が出来ない状態になると
大変ショックです。
今年の7月、私は自分の幼馴染を見舞った時も同じように
ショックを受けました。
人は「子供に返る」と言いますが、昔は普通に話をしていた人なので
信じられませんでした。

可愛らしい子供のようになってしまった、息子の同級生の母親。
やはり施設のお世話になるしか、方法は無いのでしょうね。。。
明日は我が身?と思いながら、懸命に「脳トレ」に励まなくては
ならなくなりました。
予防したくても、その兆候は自分ではわかりません。
知らない間に、その病は進行して行くらしいのです。

そうなったら、全て忘れるから、きっと可愛い「人」に
成れるのでしょうね。









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