新年1月2日に長男は中部国際空港を出発して勤務地へ
戻りました
新年になってこちらは益々寒さが増し辛い冬を過ごしています
年末クリスマス休暇を取って帰国していた息子です
帰国すれば何時も待っている会社の先輩後輩がいます
常に何処かに休暇の挨拶に出向き多忙でした
休暇と言えども親や兄弟に逢う事は時間を遣り繰りしての
事になっています
新年には家族揃って会う事も出来ず私は年末に家族全員の顔合わせを
する様にしていました
それでも時間が不足しているのか僅か3時間ほどの時間しか
話す事が出来ません
次の予定が待っていて出掛けなくてはならないのです
でも何処からもお呼びが掛からない様な事では淋しいです
ミニ歓迎会みたいなことが息子の時間が許す限り有るのです
考えてみれば本人も家族も大変ですが今は我慢です
赴任してから満6年以上が過ぎました
自動車産業の一翼を担う企業であれば忙しい事は理解しています
長期赴任はこれで2度目になりますが1度目の時は妻も一緒でした
そこでも5年以上勤務して長女が誕生しています
若い時の苦労は体力もありそれ程気にはなりませんが
今は加齢して若い頃とは違います
長女の教育が有り一緒に連れて行くつもりでしたが
英語力の不足で高校からは受け入れが出されず止む無く日本に
残り日本人としての教育を受けて居ました
海外で誕生して幼稚園は現地の幼稚園に通っていたので
当座は聞く・話す特別不自由はしなかったと聞いています
4才6ケ月程で日本へ帰国した孫はとても綺麗な発音で私は
成る程 成る程と感慨深げにその様子を眺めて居ました
帰国して日本の幼稚園へ行く様になりましたが
息子夫婦は一ヵ月で英語をすっかり忘れて地元の方言を上手く
話す田舎の女の子になっていたと嘆きます
幼児の頃は大人が困難な英会話も見事に自分の物にしていますが
忘れる事も超一流の早さです
そんなことから息子夫婦の苦労が始まりました
カナダ人の英語教師を紹介され教えて頂く事にしてもう少し
言葉を思い出して欲しいと願っていたようです
事は思う様に行きませんね〜
完全な日本の子供になってしまって変な言葉の言い回しは
直ぐ覚えて親を落胆させます
何故カナダ人かと言えば赴任先がカナダに隣り合わせ
カナダの人と接する機会もかなり有ったように聞いています
買い物もカナダまで出かけたり色々です
当時は今の様に携帯電話も普及しておらず連絡はKDDの
国際電話に頼るしか有りませんでした
今回の赴任は家族を残して単身赴任なので私は不安が
有りました
食事の事から洗濯や買い物まで自分でしなくてはなりません
お互いが単身赴任と留守家族で頑張った結果今年3月21日
大學の卒業式を迎える事が出来私はとても嬉しく思いました
それで日頃何もしてあげられなかった祖母として心ばかりの
お祝いの品を贈っておきました
4月からは社会人として一般企業で働きます
3月22日息子から お祝い届いた とお礼の電話が有りました
その時娘に変わる と言いましたが私は何故孫が電話に出る??
と不思議に思ったのです
?と思いながら孫とも話しました
お父さんに変わる と言って再度息子と話しました
それからが大変でした!!
実はねお母さん僕テキサスで交通事故に遭っていたんだと
淡々と話しますが何故孫が電話に出たり声が近いのかまだ
気が付かず不思議な気持ちでした
2月中旬テキサスの空港へ視察に来ていた企業の上司を送る
途中に反対車線から居眠り運転の乗用車にぶつけられ・・・
現地時間午前4時30分と言いました
まだ夜明け ぶつかるまで身構えてどうにも避け様がなく衝突
周りには物凄い衝突音がしたと言います
周りの民家から住人達が出てきて事故の大きさに驚いたとか
誰かがレスキュー隊に連絡をしてくれレスキュー隊の人の助けで
運転席から救出されたと言います
身動き出来ず体には激痛が走り自分では何ともならなかったと
言いました
私は息子の赴任先の事については行った事も無いし全く判りません
車の運転席が日本と違い左側であること位しか理解をしていません
し若い頃赴任した頃から国際免許証は取得しています
なので普通にアメリカ国内では運転が出来る訳です
テキサスはアメリカ国内なので上司を空港へ送り届ける所でした
勤務先はメキシコ国内でメキシコでは運転を禁止されていて通勤には
現地人プロのドライバーが送迎に当たっています
息子には何の過失も無い出来事で大きな貰い事故となりました
レスキュー隊はどれ位の時間で来てくれたのか定かでは有りません
事故発生から片側3車線の道路は完全に封鎖して事故処理に
当たったと聞いています
息子は運転席で正面衝突の形で事故に遭っていますが40マイル程で
走行していたと言いました
直ぐに病院へ搬送されたそうですが暫くの間意識が途絶えて居たと
話しますがそれは衝突で負った怪我の精とも言います
男の子が痛くて痛くて何を言ったのか?何を喚いたのか不明
3月24日次男が私を病院へ連れて行ってくれました
次男も私と同じく事故を知ったのは私と同じ日でした
2月中旬現地での出来事は留守家族には連絡が有ったそうですが
私と次男の所へは1ケ月以上経過してリハビリの為に
帰国してからの連絡でした
事故発生当時に知らせなかったのは高齢の親に心配を掛けたくない
と言う息子の配慮で有ったと理解しています
帰国しても自力で歩く事も出来ませんし階段の昇り降りも
出来ませんので仕方ありません
気を失った原因は 大腿骨骨折と衝突した時の打撲 手の指の
骨折等です
交通事故は日本も同じですが健康保険は適用されません
増して異国の医療制度は日本とは違い戸惑いもかなり有ったようです
何も知らずに居た訳ですが大変な事故に遭っていた事を知り気持ちは
揺れ動いてしまいました
3月24日に帰国中の息子に会い事故の内容を本人から聞き出せ
また事故の記録がスマホに保存されていてその時の模様が詳細に
判りましたし跡形もない姿の事故車の記録も見せて貰いました
この状況で人は生きて居れたのか!?と言う程の酷さです
安全装置が全て働き奇跡的とも思える中で命が助かりました
激痛に耐えてまた慣れない環境の中で良く忍耐をして呉れたと
心から思いました
お母さん心配は要らないよ〜 手術は成功したし歩く為の
リハビリをするから と明るく言います
この子の強さは誰から授かったのだろう!!と感じました
健康な体を先祖から授かりそれに増して神仏のご加護が有ったと
思わずには居れません
安全装置は純日本製です
日本の技術が評価される場面でも有りました
若い子達は余り人にだけ与えられる霊魂については肯定的では
有りませんがこの事故を通して私は改めて霊魂の存在を
認めたい気持ちになりました
神様仏様 ご先祖様のご加護は確かに有ったと信じて居ます
一応現地テキサスで治療を受けて回復段階なので完全な
回復が出来る様にリハビリ専門の病院で治療しています
近所ではこの事はお隣の人には話しましたが他には
話していません
生きて帰国できた子を私の姉妹兄弟は見舞ってくれています
入れ替わり見舞いの人が絶えなくて息子も元気が出て来た様に
感じます
肉親が見舞う事は一番の見舞いかも知れません
時間を見ては私も見舞っています
赴任先に戻る時は自力で歩くことが出来る様になって元気に
仕事に戻って欲しいと思っています
因みに居眠り運転の子は20歳
無保険でこれまでの事案から 運転はして行けない 人物として
ブラックリストに上がっている子だったようです
親の目を盗み親の車に乗り事故を起こしたのです
この子とは全く話もしなくて 氏名も判らないまま
息子とは無関係で事故処理が進んでいます
企業や警察・保険会社(企業の)は20歳の子の詳細は全て把握しています
ただ息子が個人的に係りたくないと考え相手の事を知ろうと
しなかっただけです
あの国は皆が豊かで良い暮らしをしている様に思いがちですが
事故を起こした様な人は他にも幾らも居ると聞きました
全て企業に支援をして頂き労災も適用されるようで後は
回復を待ちたいです
急激に足の筋力も低下して来ていますのでこれからが大変です
これからは助かった命を慈しみ謙虚な気持ちで働いて
欲しいと思います
息子から聞いた話で私は眠れない夜が度々となっていますが
が不摂生な人間の怖さを知った次第です
息子運転の乗用車は企業指定支給の日本車 日本車でなかったら
あちらへ行っていました
戻りました
新年になってこちらは益々寒さが増し辛い冬を過ごしています
年末クリスマス休暇を取って帰国していた息子です
帰国すれば何時も待っている会社の先輩後輩がいます
常に何処かに休暇の挨拶に出向き多忙でした
休暇と言えども親や兄弟に逢う事は時間を遣り繰りしての
事になっています
新年には家族揃って会う事も出来ず私は年末に家族全員の顔合わせを
する様にしていました
それでも時間が不足しているのか僅か3時間ほどの時間しか
話す事が出来ません
次の予定が待っていて出掛けなくてはならないのです
でも何処からもお呼びが掛からない様な事では淋しいです
ミニ歓迎会みたいなことが息子の時間が許す限り有るのです
考えてみれば本人も家族も大変ですが今は我慢です
赴任してから満6年以上が過ぎました
自動車産業の一翼を担う企業であれば忙しい事は理解しています
長期赴任はこれで2度目になりますが1度目の時は妻も一緒でした
そこでも5年以上勤務して長女が誕生しています
若い時の苦労は体力もありそれ程気にはなりませんが
今は加齢して若い頃とは違います
長女の教育が有り一緒に連れて行くつもりでしたが
英語力の不足で高校からは受け入れが出されず止む無く日本に
残り日本人としての教育を受けて居ました
海外で誕生して幼稚園は現地の幼稚園に通っていたので
当座は聞く・話す特別不自由はしなかったと聞いています
4才6ケ月程で日本へ帰国した孫はとても綺麗な発音で私は
成る程 成る程と感慨深げにその様子を眺めて居ました
帰国して日本の幼稚園へ行く様になりましたが
息子夫婦は一ヵ月で英語をすっかり忘れて地元の方言を上手く
話す田舎の女の子になっていたと嘆きます
幼児の頃は大人が困難な英会話も見事に自分の物にしていますが
忘れる事も超一流の早さです
そんなことから息子夫婦の苦労が始まりました
カナダ人の英語教師を紹介され教えて頂く事にしてもう少し
言葉を思い出して欲しいと願っていたようです
事は思う様に行きませんね〜
完全な日本の子供になってしまって変な言葉の言い回しは
直ぐ覚えて親を落胆させます
何故カナダ人かと言えば赴任先がカナダに隣り合わせ
カナダの人と接する機会もかなり有ったように聞いています
買い物もカナダまで出かけたり色々です
当時は今の様に携帯電話も普及しておらず連絡はKDDの
国際電話に頼るしか有りませんでした
今回の赴任は家族を残して単身赴任なので私は不安が
有りました
食事の事から洗濯や買い物まで自分でしなくてはなりません
お互いが単身赴任と留守家族で頑張った結果今年3月21日
大學の卒業式を迎える事が出来私はとても嬉しく思いました
それで日頃何もしてあげられなかった祖母として心ばかりの
お祝いの品を贈っておきました
4月からは社会人として一般企業で働きます
3月22日息子から お祝い届いた とお礼の電話が有りました
その時娘に変わる と言いましたが私は何故孫が電話に出る??
と不思議に思ったのです
?と思いながら孫とも話しました
お父さんに変わる と言って再度息子と話しました
それからが大変でした!!
実はねお母さん僕テキサスで交通事故に遭っていたんだと
淡々と話しますが何故孫が電話に出たり声が近いのかまだ
気が付かず不思議な気持ちでした
2月中旬テキサスの空港へ視察に来ていた企業の上司を送る
途中に反対車線から居眠り運転の乗用車にぶつけられ・・・
現地時間午前4時30分と言いました
まだ夜明け ぶつかるまで身構えてどうにも避け様がなく衝突
周りには物凄い衝突音がしたと言います
周りの民家から住人達が出てきて事故の大きさに驚いたとか
誰かがレスキュー隊に連絡をしてくれレスキュー隊の人の助けで
運転席から救出されたと言います
身動き出来ず体には激痛が走り自分では何ともならなかったと
言いました
私は息子の赴任先の事については行った事も無いし全く判りません
車の運転席が日本と違い左側であること位しか理解をしていません
し若い頃赴任した頃から国際免許証は取得しています
なので普通にアメリカ国内では運転が出来る訳です
テキサスはアメリカ国内なので上司を空港へ送り届ける所でした
勤務先はメキシコ国内でメキシコでは運転を禁止されていて通勤には
現地人プロのドライバーが送迎に当たっています
息子には何の過失も無い出来事で大きな貰い事故となりました
レスキュー隊はどれ位の時間で来てくれたのか定かでは有りません
事故発生から片側3車線の道路は完全に封鎖して事故処理に
当たったと聞いています
息子は運転席で正面衝突の形で事故に遭っていますが40マイル程で
走行していたと言いました
直ぐに病院へ搬送されたそうですが暫くの間意識が途絶えて居たと
話しますがそれは衝突で負った怪我の精とも言います
男の子が痛くて痛くて何を言ったのか?何を喚いたのか不明
3月24日次男が私を病院へ連れて行ってくれました
次男も私と同じく事故を知ったのは私と同じ日でした
2月中旬現地での出来事は留守家族には連絡が有ったそうですが
私と次男の所へは1ケ月以上経過してリハビリの為に
帰国してからの連絡でした
事故発生当時に知らせなかったのは高齢の親に心配を掛けたくない
と言う息子の配慮で有ったと理解しています
帰国しても自力で歩く事も出来ませんし階段の昇り降りも
出来ませんので仕方ありません
気を失った原因は 大腿骨骨折と衝突した時の打撲 手の指の
骨折等です
交通事故は日本も同じですが健康保険は適用されません
増して異国の医療制度は日本とは違い戸惑いもかなり有ったようです
何も知らずに居た訳ですが大変な事故に遭っていた事を知り気持ちは
揺れ動いてしまいました
3月24日に帰国中の息子に会い事故の内容を本人から聞き出せ
また事故の記録がスマホに保存されていてその時の模様が詳細に
判りましたし跡形もない姿の事故車の記録も見せて貰いました
この状況で人は生きて居れたのか!?と言う程の酷さです
安全装置が全て働き奇跡的とも思える中で命が助かりました
激痛に耐えてまた慣れない環境の中で良く忍耐をして呉れたと
心から思いました
お母さん心配は要らないよ〜 手術は成功したし歩く為の
リハビリをするから と明るく言います
この子の強さは誰から授かったのだろう!!と感じました
健康な体を先祖から授かりそれに増して神仏のご加護が有ったと
思わずには居れません
安全装置は純日本製です
日本の技術が評価される場面でも有りました
若い子達は余り人にだけ与えられる霊魂については肯定的では
有りませんがこの事故を通して私は改めて霊魂の存在を
認めたい気持ちになりました
神様仏様 ご先祖様のご加護は確かに有ったと信じて居ます
一応現地テキサスで治療を受けて回復段階なので完全な
回復が出来る様にリハビリ専門の病院で治療しています
近所ではこの事はお隣の人には話しましたが他には
話していません
生きて帰国できた子を私の姉妹兄弟は見舞ってくれています
入れ替わり見舞いの人が絶えなくて息子も元気が出て来た様に
感じます
肉親が見舞う事は一番の見舞いかも知れません
時間を見ては私も見舞っています
赴任先に戻る時は自力で歩くことが出来る様になって元気に
仕事に戻って欲しいと思っています
因みに居眠り運転の子は20歳
無保険でこれまでの事案から 運転はして行けない 人物として
ブラックリストに上がっている子だったようです
親の目を盗み親の車に乗り事故を起こしたのです
この子とは全く話もしなくて 氏名も判らないまま
息子とは無関係で事故処理が進んでいます
企業や警察・保険会社(企業の)は20歳の子の詳細は全て把握しています
ただ息子が個人的に係りたくないと考え相手の事を知ろうと
しなかっただけです
あの国は皆が豊かで良い暮らしをしている様に思いがちですが
事故を起こした様な人は他にも幾らも居ると聞きました
全て企業に支援をして頂き労災も適用されるようで後は
回復を待ちたいです
急激に足の筋力も低下して来ていますのでこれからが大変です
これからは助かった命を慈しみ謙虚な気持ちで働いて
欲しいと思います
息子から聞いた話で私は眠れない夜が度々となっていますが
が不摂生な人間の怖さを知った次第です
息子運転の乗用車は企業指定支給の日本車 日本車でなかったら
あちらへ行っていました