このブログの他に私が参加している 写真共有サイトがあります
いぜんはこのライブドアーでも写真投稿サイトが有りましたが
諸般の事情から閉鎖してしまいました
ライブドアーピクスと言うサイトでしすが最初に投稿しだしたのが
ライブドアーピクスでした
閉鎖されたので今参加している フォト蔵 へ移動しました
大勢の会員が参加中で私は2007年頃から投稿をしていました
今年7月7日にフォト蔵で ピックアップ を頂きました
ピックアップは私にはとても遠くて厚い壁に思えて居ました
今回幸運にも ピックアップして頂き 素直に嬉しく思っています
↓↓↓ の画像がピックアップして頂いた私の画像 女郎花です
ピックアップ頂いて 友達リンクしている方から おめでとうの
コメントを頂き大変ありがたく感じておりました
色々個人的な事情もあってこれまでに お休みをした事も何度か
ありました そんなお休み状態でも 或るお友達は殆ど毎日私のコーナーを
訪問して下さいました お友達は有難い存在です
殆んどの人が本名を名乗らず HNですがそれでも頂くコメントを
拝見する時 お人柄が判って来ます
これまで趣味らしい事殆どしていませんでしたが このカメラに嵌り
外出の時はどんなカメラでも持ち歩くようになりました
上手くなりたい気持ちは有りましたが 初歩的な所で壁にぶつかり
悩んでしまう事随分有りました
でも何事も 継続は力 とも言いますので 進歩は叶わなくても
続けてみようと思いながらの日々でした
📷撮影を私より遥に遅い年齢で開始された方も有り
個人的な感想ですが随分励みになり心強く思ったことも有りました
趣味の事は年齢に制限がある訳でもなく 始めた日からコツコツ
努力を重ねれば自然に様になって行く様にも思えました
兎に角 始めた日が 吉日と思えば良いと考えます
上記の写真共有サイトに私が投稿を続けて居る事は何方にも
話していません 言うなれば自分一人だけの楽しみ方です
Pcさえ有れば自分の好きな時間に何時でも投稿できる自由さが有ります
息子達も私が日々何をしているのか詳細は知りません
ブログ開設していることぐらいは知っていると思いますが幾ら
家族と言っても 読んで欲しいとか 写真見て欲しい と言う趣旨の
発言はしたことが無いです
関心があれば言われなくても見る筈です
そして私も息子たちのPcに関わる事を聞いたことも有りませんし
関わろうともしていません
そして最近の最も嬉しい事として
長男が2月15日にテキサス州で交通事故に遭い日本に帰国してリハビリの
生活を続けて居ましたが7月下旬に赴任地へ戻る事となりました
親として事故の模様を知らされて以来眠れない日が何日も有りました
大変心配もしましたが漸くの事で職場復帰が出来る見通しとなり
何より喜ばしい事と感じております
数えてみれば2月中旬から5ケ月にも及ぶ欠勤は普通の事故であれば
殆ど不可能な時間です
その間企業の全面的な支援の元に再起をかけてリハビリに賭ける
日々が続いていたのです 毎日がスパルタ式のリハビリで体が
空く時間は限られていました 会いに出かけてもリハビリに出掛けていて
短時間だけの面会になった事もしばしばです
5月下旬にリハビリ専門病院を退院して日常生活に慣れ乍ら通院
かなりの努力を重ねていた模様です
新盆の時期に先祖の供養のお経をあげて貰う事になっています
今年は交通事故で帰国中であった為お経に会って赴任地へ戻る事に
した模様です
赴任地へは企業の社員が夏休みを終えて戻る同じ航空機で一緒に
戻る予定と伝えてくれました スーツケースは持たずに帰国して
いる為 今回新調して荷物を整え職場へ戻ります
未だに杖を使わずには歩けない状況らしいのですが大腿骨の骨折
それに伴う外科手術もあり已むを得ません
知り合いの人が時々息子の状況を尋ねてくださいます
以前にバイクで事故に遭い同じく大腿骨骨折をした人の話をして
くれます 自宅の宅配の係りの人ですがバイクで事故に遭った人の
治り具合が良くない事を伝えました
息子の現状は色々推察すればまだ 良好な方向と思わなくては
なりません バイクで事故の人は事故後2年以上かかり漸く
びっこを引かず歩くようになったと
息子さんはまだ回復が早い分ですよ〜と言いました
息子さんの回復は未だ早い方〜と言われ多少は気が休まったです
怪我をした脚に力が無くて十分歩けない状態から早く脱出して欲しいです
事故後気を失う程の痛さも経験した頃の事は本人しか判りません
大変な経験をした訳ですが全て運が良い方向であった為 生かされました
後僅かで赴任地へ戻りますが15日 先祖供養の読経に会う為寺院へ
一緒に出掛けました
乗用車の運転は可能になり私を迎えに来てくれました
以前は黒い色の乗用車に乗って居ましたがこの度心機一転
留守宅に置く車を買い替えて居ました
話が行ったり来たりしますが息子はまだ杖を手放しては歩けません
骨折した左手の指は大方真っ直ぐになっていますが 握力が無く
杖を持つ手に力が入らないようです
乗用車は勤務地へ戻れば企業指定の物が支給されると思います
勤務に付けば単身赴任の為自分で食料は調達しなくてはなりません
広いテキサス州 やはり乗用車無しの生活は成り立ちませんが
もう二度と事故に遭わないで欲しいと願うのは家族全員同じです
2018年 2月に発生した交通事故で4ケ月の間日本に帰国して
リハビリ生活に専念しました
このリハビリのお陰で何とか全治に向かって進みだした気がします
きめ細かな指導と本人の努力も有りますがこれは日本の良さです
まだ何度かリハビリの病院へ通院する事になっていますが
今後の可能性に賭けたいと思いました
事故から身を護られて生きている自分の事について 最近では
遠いご先祖に思いを馳せる言葉を口に出すようになりました
目に見えない所できっと自分を護って下さったで有ろう ご先祖に
感謝の気持ちを十分持っている様に見受けました
私の妹や弟達 夫々息子を何度か見舞っていて呉れています
弟達の見解は記録写真を見て 良く生きていてくれた
と言う感想ばかりです
妹や弟達も命が有った事を大変喜んでくれています
入れ替わり血のつながりの有るものが見舞う事で元気付けられ
回復の原動力になったとも思っています
目に見えないご先祖とのつながり 叔父や叔母の存在は時代が
過ぎても変わらない事柄です
後は職場復帰して クリスマス休暇に自力で日本へ帰れるかが
問題です
春3月 桜の季節に帰国してはいても 先の見えないリハビリ暮らし
その為に桜を見る事も無く ちらり 病院の桜を見ただけと言います
テキサスでは桜は咲かないと聞いています
折角の日本の桜も今年は十分見る事は出来ませんでした
桜の季節花は季節が変わる毎に次々咲き出します
息子に会う為に豊田市内の病院へ良く通いました バスでは2区
歩いても20分程なのでバスの時間が合わない時は歩きました
豊田市内の道すがら季節を感じる花が道端に咲いています
そんな光景を時々は撮影しながら結構楽しみました
撮影に出る時間が無い為の工夫です
気持ちには余裕が無くて 只管息子に会う為の歩きでした
もう今は豊田市内のあの道を歩くことは無くなりましたが私の
今年の出来事と思い出として心に残ります
私は事故の記録写真を見て以来 何日も眠れない夜が有りました
夢の中では全く 誰 と言う事が判らないまま私が懸命に
話しかけて居ましたが誰も口を利いて呉れません
夢枕に出て来たのは誰だったのか?今でも判りませんが多分
ご先祖の誰かと思いたいです
この夢の件に付いては妹には話しました
妹は 確かにそれが目に見えないご先祖だろう と言います
本当に忘れられない一年になりそうです
桜から桔梗の花へ それだけ長い時間を日本に居た訳です
日本の夏が暑い暑いと言いますが テキサスやメキシコも暑いそうです
いぜんはこのライブドアーでも写真投稿サイトが有りましたが
諸般の事情から閉鎖してしまいました
ライブドアーピクスと言うサイトでしすが最初に投稿しだしたのが
ライブドアーピクスでした
閉鎖されたので今参加している フォト蔵 へ移動しました
大勢の会員が参加中で私は2007年頃から投稿をしていました
今年7月7日にフォト蔵で ピックアップ を頂きました
ピックアップは私にはとても遠くて厚い壁に思えて居ました
今回幸運にも ピックアップして頂き 素直に嬉しく思っています
↓↓↓ の画像がピックアップして頂いた私の画像 女郎花です
ピックアップ頂いて 友達リンクしている方から おめでとうの
コメントを頂き大変ありがたく感じておりました
色々個人的な事情もあってこれまでに お休みをした事も何度か
ありました そんなお休み状態でも 或るお友達は殆ど毎日私のコーナーを
訪問して下さいました お友達は有難い存在です
殆んどの人が本名を名乗らず HNですがそれでも頂くコメントを
拝見する時 お人柄が判って来ます
これまで趣味らしい事殆どしていませんでしたが このカメラに嵌り
外出の時はどんなカメラでも持ち歩くようになりました
上手くなりたい気持ちは有りましたが 初歩的な所で壁にぶつかり
悩んでしまう事随分有りました
でも何事も 継続は力 とも言いますので 進歩は叶わなくても
続けてみようと思いながらの日々でした
📷撮影を私より遥に遅い年齢で開始された方も有り
個人的な感想ですが随分励みになり心強く思ったことも有りました
趣味の事は年齢に制限がある訳でもなく 始めた日からコツコツ
努力を重ねれば自然に様になって行く様にも思えました
兎に角 始めた日が 吉日と思えば良いと考えます
上記の写真共有サイトに私が投稿を続けて居る事は何方にも
話していません 言うなれば自分一人だけの楽しみ方です
Pcさえ有れば自分の好きな時間に何時でも投稿できる自由さが有ります
息子達も私が日々何をしているのか詳細は知りません
ブログ開設していることぐらいは知っていると思いますが幾ら
家族と言っても 読んで欲しいとか 写真見て欲しい と言う趣旨の
発言はしたことが無いです
関心があれば言われなくても見る筈です
そして私も息子たちのPcに関わる事を聞いたことも有りませんし
関わろうともしていません
そして最近の最も嬉しい事として
長男が2月15日にテキサス州で交通事故に遭い日本に帰国してリハビリの
生活を続けて居ましたが7月下旬に赴任地へ戻る事となりました
親として事故の模様を知らされて以来眠れない日が何日も有りました
大変心配もしましたが漸くの事で職場復帰が出来る見通しとなり
何より喜ばしい事と感じております
数えてみれば2月中旬から5ケ月にも及ぶ欠勤は普通の事故であれば
殆ど不可能な時間です
その間企業の全面的な支援の元に再起をかけてリハビリに賭ける
日々が続いていたのです 毎日がスパルタ式のリハビリで体が
空く時間は限られていました 会いに出かけてもリハビリに出掛けていて
短時間だけの面会になった事もしばしばです
5月下旬にリハビリ専門病院を退院して日常生活に慣れ乍ら通院
かなりの努力を重ねていた模様です
新盆の時期に先祖の供養のお経をあげて貰う事になっています
今年は交通事故で帰国中であった為お経に会って赴任地へ戻る事に
した模様です
赴任地へは企業の社員が夏休みを終えて戻る同じ航空機で一緒に
戻る予定と伝えてくれました スーツケースは持たずに帰国して
いる為 今回新調して荷物を整え職場へ戻ります
未だに杖を使わずには歩けない状況らしいのですが大腿骨の骨折
それに伴う外科手術もあり已むを得ません
知り合いの人が時々息子の状況を尋ねてくださいます
以前にバイクで事故に遭い同じく大腿骨骨折をした人の話をして
くれます 自宅の宅配の係りの人ですがバイクで事故に遭った人の
治り具合が良くない事を伝えました
息子の現状は色々推察すればまだ 良好な方向と思わなくては
なりません バイクで事故の人は事故後2年以上かかり漸く
びっこを引かず歩くようになったと
息子さんはまだ回復が早い分ですよ〜と言いました
息子さんの回復は未だ早い方〜と言われ多少は気が休まったです
怪我をした脚に力が無くて十分歩けない状態から早く脱出して欲しいです
事故後気を失う程の痛さも経験した頃の事は本人しか判りません
大変な経験をした訳ですが全て運が良い方向であった為 生かされました
後僅かで赴任地へ戻りますが15日 先祖供養の読経に会う為寺院へ
一緒に出掛けました
乗用車の運転は可能になり私を迎えに来てくれました
以前は黒い色の乗用車に乗って居ましたがこの度心機一転
留守宅に置く車を買い替えて居ました
話が行ったり来たりしますが息子はまだ杖を手放しては歩けません
骨折した左手の指は大方真っ直ぐになっていますが 握力が無く
杖を持つ手に力が入らないようです
乗用車は勤務地へ戻れば企業指定の物が支給されると思います
勤務に付けば単身赴任の為自分で食料は調達しなくてはなりません
広いテキサス州 やはり乗用車無しの生活は成り立ちませんが
もう二度と事故に遭わないで欲しいと願うのは家族全員同じです
2018年 2月に発生した交通事故で4ケ月の間日本に帰国して
リハビリ生活に専念しました
このリハビリのお陰で何とか全治に向かって進みだした気がします
きめ細かな指導と本人の努力も有りますがこれは日本の良さです
まだ何度かリハビリの病院へ通院する事になっていますが
今後の可能性に賭けたいと思いました
事故から身を護られて生きている自分の事について 最近では
遠いご先祖に思いを馳せる言葉を口に出すようになりました
目に見えない所できっと自分を護って下さったで有ろう ご先祖に
感謝の気持ちを十分持っている様に見受けました
私の妹や弟達 夫々息子を何度か見舞っていて呉れています
弟達の見解は記録写真を見て 良く生きていてくれた
と言う感想ばかりです
妹や弟達も命が有った事を大変喜んでくれています
入れ替わり血のつながりの有るものが見舞う事で元気付けられ
回復の原動力になったとも思っています
目に見えないご先祖とのつながり 叔父や叔母の存在は時代が
過ぎても変わらない事柄です
後は職場復帰して クリスマス休暇に自力で日本へ帰れるかが
問題です
春3月 桜の季節に帰国してはいても 先の見えないリハビリ暮らし
その為に桜を見る事も無く ちらり 病院の桜を見ただけと言います
テキサスでは桜は咲かないと聞いています
折角の日本の桜も今年は十分見る事は出来ませんでした
桜の季節花は季節が変わる毎に次々咲き出します
息子に会う為に豊田市内の病院へ良く通いました バスでは2区
歩いても20分程なのでバスの時間が合わない時は歩きました
豊田市内の道すがら季節を感じる花が道端に咲いています
そんな光景を時々は撮影しながら結構楽しみました
撮影に出る時間が無い為の工夫です
気持ちには余裕が無くて 只管息子に会う為の歩きでした
もう今は豊田市内のあの道を歩くことは無くなりましたが私の
今年の出来事と思い出として心に残ります
私は事故の記録写真を見て以来 何日も眠れない夜が有りました
夢の中では全く 誰 と言う事が判らないまま私が懸命に
話しかけて居ましたが誰も口を利いて呉れません
夢枕に出て来たのは誰だったのか?今でも判りませんが多分
ご先祖の誰かと思いたいです
この夢の件に付いては妹には話しました
妹は 確かにそれが目に見えないご先祖だろう と言います
本当に忘れられない一年になりそうです
桜から桔梗の花へ それだけ長い時間を日本に居た訳です
日本の夏が暑い暑いと言いますが テキサスやメキシコも暑いそうです