77952bac.jpg終戦の日を前にして・・・。
終戦前後の食料不足の日々を私達は経験しました。
いつも、お腹は空いてばかり、それもその筈、主食の
米の配給は一ヶ月の内「一日分しか」配給されないと言う
非常事態だったのです。

ゼイタクは敵と思いながらも、甘い菓子が出回った幼児の
頃がとても懐かしく、そんな事を思う時、生唾をごくんと
飲み込んだ物です。

日常の食生活は極端に切り詰められ、まともな食事は
殆ど出来ませんでした、何処の家庭も同じでした。
この食糧難の時代、どうやって生きて来たか、
忘れかけた事を思い出しています。
人間は忘れる事が出来るのですね、お腹が空いて仕方
無かったあの時代の事を思い出すのは終戦の日の
前後位となりました。

大切な米を工面して、自宅近くの「ポン菓子屋」の
お爺に「ポン菓子作って〜」と頼みに行きます。
勿論祖母が行くのですが、何時頃出来上がるか
時間を聞き、指定された時間には、ポン菓子のお爺の
所へ足を運ぶのです。
食糧難の時代持ち込んだ米が、持って行っただけ
確実にポン菓子になるのか、見届ける訳です。

材料は持ち込みなので、ポン菓子のお爺は加工料として
何がしかの料金を受け取ります。
祖母は「掠め取られる事を」大変警戒して居た訳です。
私達が喜ぶ顔が見たくて、色々人を介して食料の確保に
力を発揮していて呉れました。

ポン菓子は出来上がる時凄い爆発音がします。
そして、約10倍位に膨れ上がったポン菓子は当時としては
最高のおやつだったのです。
今はポン菓子等眼もくれない子供達、60年前にはこれが
一番の贅沢品であった事は確かな事です。

戦後生まれの人が多くなった時代となり、この
食糧不足の時代の事は中々お判り頂けないと思います。

昔懐かしい幼女の和服。
何年くらい前の和服か判りませんが・・・