早いもので、一ヶ月前は、中欧の旅行の最中でした。
今回出かけた所は、チェコ、オーストリア、スロヴァキア、ハンガリーの
4ヶ国でした。
また、旅行の後半になる所をご紹介したいと思います。
何と言っても、ヨーロッパは陸続きなので、移動するにも
日本で言えば、他府県へ移動する位の簡単さです。
一応、国境線は設けて有りますが、EUの発足で昔の様な
検閲所は、今は建物だけで、検査をする職員も居ません。
例え専用の観光バスで有ろうと、バスのドライバーは乗客の
リストを作り、それを提示していました。
日本人の観光客はEUが発足する前でも、殆ど国境を越える時も
検査はされませんでした。
観光するだけで、何も「危害」を与えない善良なイメージを
与えていたのです。
ウィーンから移動して、スロバキアへ来ました。
スロバキアは街の歴史は古く、1世紀頃からローマ帝国の
駐屯地として開かれました。
7世紀に現在のチェコのモラヴィア地方からスロヴァキアにかけての
地域にスラブ人による最初の国家が成立しました。
その後、マジャル人の侵攻により、約1000年もの間ハンガリー帝国の
支配を受けました。
19世紀頃から起こった民族復興運動により1918年
チェコスロバキア共和国が誕生しました。
1993年チェコから分離し、現在のスロヴァキア共和国となりました。
スロヴァキアの首都プラチスラヴァの散策をしてきました。


写真↑右は、展示用の乗り物です。
スロヴァキアの乗り物。
お国が違えば乗り物も変っています。
トラムの色はピンク。
チェコは赤と黄色の
ツートンカラーでした。
ピンク色のトラムは
初めて見ました。
←の写真は
プラチスラヴァ城です。
時間的に無理なので
市街地からお城を
見るに止まりました。
聖マルティン教会の
前かと思いますが
何しろ駆け足の
散策です。
若しかして記憶違いで
間違っているかも?


この日は日曜日に当ってしまいました。
プラチスラヴァへ付いた時は、人気も無くひっそりとして
とても静かな街の佇まいが印象に残りました。
街の中を歩くのは、遠い異郷から来た観光客の私たちだけです。
古き良きヨーロッパの面影が残る旧市街は、ウィーン等の
華やかさには少し及ばないですが、まるで時が止まったかのような
思いがしました。


燃えよドラゴンズ!!


今回出かけた所は、チェコ、オーストリア、スロヴァキア、ハンガリーの
4ヶ国でした。
また、旅行の後半になる所をご紹介したいと思います。
何と言っても、ヨーロッパは陸続きなので、移動するにも
日本で言えば、他府県へ移動する位の簡単さです。
一応、国境線は設けて有りますが、EUの発足で昔の様な
検閲所は、今は建物だけで、検査をする職員も居ません。
例え専用の観光バスで有ろうと、バスのドライバーは乗客の
リストを作り、それを提示していました。
日本人の観光客はEUが発足する前でも、殆ど国境を越える時も
検査はされませんでした。
観光するだけで、何も「危害」を与えない善良なイメージを
与えていたのです。
ウィーンから移動して、スロバキアへ来ました。
スロバキアは街の歴史は古く、1世紀頃からローマ帝国の
駐屯地として開かれました。
7世紀に現在のチェコのモラヴィア地方からスロヴァキアにかけての
地域にスラブ人による最初の国家が成立しました。
その後、マジャル人の侵攻により、約1000年もの間ハンガリー帝国の
支配を受けました。
19世紀頃から起こった民族復興運動により1918年
チェコスロバキア共和国が誕生しました。
1993年チェコから分離し、現在のスロヴァキア共和国となりました。
スロヴァキアの首都プラチスラヴァの散策をしてきました。


写真↑右は、展示用の乗り物です。
スロヴァキアの乗り物。
お国が違えば乗り物も変っています。

チェコは赤と黄色の
ツートンカラーでした。
ピンク色のトラムは
初めて見ました。

プラチスラヴァ城です。
時間的に無理なので
市街地からお城を
見るに止まりました。

前かと思いますが
何しろ駆け足の
散策です。
若しかして記憶違いで
間違っているかも?


この日は日曜日に当ってしまいました。
プラチスラヴァへ付いた時は、人気も無くひっそりとして
とても静かな街の佇まいが印象に残りました。
街の中を歩くのは、遠い異郷から来た観光客の私たちだけです。
古き良きヨーロッパの面影が残る旧市街は、ウィーン等の
華やかさには少し及ばないですが、まるで時が止まったかのような
思いがしました。


燃えよドラゴンズ!!

