5年前の3月11日。
あれから5年と言うか?もう5年です。
自宅で午後見るともなく見ていた情報番組の最中、何となく眩暈を感じた
様な気がした私ですが、実はその直後に家が「揺れだし」ました。
東海地区に住んでいて体に随分感じて一寸した眩暈の感じは何時も
地震が有る時の私の感覚的なものです。
息子達は夫々職場へでてしまい、あの揺れ方には戸惑いました。


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その後情報番組ではいち早く「東北地方」に大きな地震が発生したと
報じました。
それから「津波」の警告が有り私は恐ろしい本物の「津波」が襲い来る
状況を情報番組内で見てしまいました。
物凄い勢力で飲みつくす本物の津波の脅威を初めて映像を通じて
知り呆然としてしまいました。

もう知り尽くされた災害の状況ですが、あの日自宅のTvで見た情景は全く
この世の事とは思えませんでした。
次々と被災状況が伝えられる中漸く午後8時過ぎに息子から電話が有り
地震の最中に「富士山」の裾野を営業活動中「地震」に遭い恐ろしかった事を
伝えて来ました。

同じ会社の若手社員がハンドルを握っていたそうですが、どうしても真っ直ぐに
走れない為路肩に止めて「じっと」していたそうです。
その時息子は横浜で勤務に着いて居て単身赴任でした。
関東方面は名古屋の揺れ方とは比較にならない程の酷さで怖くなりました。
余震も度々あり「夜中が心配」と言う息子の言葉が気になりました。

幾多の困難を乗り越え、悲しみを押し殺して過ごして来た被災地の
人達、傍からは判らない心の葛藤が有った事は確かと思います。
どんなに力を尽くしてもあの大自然の営みには人の力は「及ばない」事も
まざまざと見せつけられた5年前の大災害でした。
思えば東北地方へはあの地震が起きる前に旅行に出掛けました。

色々出掛けた場所があの旅行をした時の姿では無い事に尚更乍ら悲しみが
走ります。
カメラサークルの知り合いの人は名古屋からボランティアで後片付けの
お手伝いに参加をして汗を流してきました。
勿論交通費その他全て自分持ちで、出掛けるのです。

振りかえれば長い5年でしたが、実際には「もう、5年!!」と言った
印象が強いです。
今後日本の何処で起きてもおかしくは無いと言われる「巨大地震」です。
災害が発生したら「いかにして3日間生き延びるか?」と言う事を
考えてリュックなどに少しずつ必要品を詰め込んで居ます。

女性ならではの商品が入った「防災グッズ」も買い込みました。
私も3月11日は静かに犠牲者への祈りを捧げた日となりました。





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