遅れ遅れのブログの更新です
年が改まって早くも10日以上となりました
年末気持ちだけが空回りしてやらなくてはならない事も
全くお座なりの状態で過ぎてしまいました
何の事も無い普通の事柄が最近は怠けてしまいます
先ず健康に生きる事が肝心と思う様になりました
自治会の女性たちの様子を見て骨粗鬆症に悩む人や
循環機能が著しく低下している人色々です
毎日が家の中でTvがお友達の人が多いのです
足が痛い・腰が痛いは挨拶代わりに成りつつあります
最近はどの家もかっての様な食べ物に困る時代では無くなりました
栄養面についても充分気を付ける事が出来る時代となっています
どの家庭もそれ程食べ物に格差が有るとは思えません
それでも各々の体質に依って足や腰が痛むように
なって行くのかなぁと考えてしまいます
自宅の畳の縁に躓き転倒し大腿骨を骨折した人もあります
整形外科病院へ3ヶ月以上入院治療した人も知っています
入院すれば一時は寝たきりの状態になり当然の事ですが
筋力は落ちてしまいます
中高年の女性が一度大きな骨折事故をすると大変苦労します
苦労している間はまだ生きていると言う証拠なので安心です
新年になって同級生のご主人から挨拶状が届きました
それは同級生が昨年12月に永眠したとの挨拶状でした
信じ難い知らせに一時はその葉書を呆然と見つめてしまいました
暫く前に街中のデパートの出入り口で彼女を見かけました
その折声を掛ければ良かったのに黙って後姿を見送りました
その後クラス会にも欠席していた事を思い出しました
彼女は女の子二人の母親でした
長女は養子縁組をした男性と結婚平穏な生活をしていました
所がお孫さんが小学校低学年の頃長女の人は若くして
くも膜下出血で急逝してしまいました
それ以後一家のまとめ役としてお孫さん達の面倒を
見なくてはならなくなり身体的に辛い主婦業に戻りました
長女の代役として毎日が大変だったようです
随分前のクラス会に出席した折2度目の主婦業の話を
困惑した様子で話していました
何時も一番豪華なアクセサリーを身に着け輝いていた人です
それが長女を失ってから心身ともに疲れて以前の様な優雅で
穏やかさは消えて居ました
今から思えば長女を送ってしまいその痛手が尾を引いていたと
思えてなりませんでした
同年代で一緒に学んだ仲間として何時の間にか一人二人と
生涯を閉じて行く事を考えると生きて明日が有る事に
感謝をしなくてはなりません
生まれたら必ず何時かはこの世から去る日が来ます
これは必ず訪れる宿命ですから受け入れなくてはなりません
最後の姿がどの様な姿で居られるのか?それは今も判りません
少なくとも寝たきりの状態が長く続くような事は回避したいと
思いを巡らしています
生まれて以来多くの人と関りを持ちながらの暮らしでしたが
余り訃報は聞きたくない心境です
それは誰もが何時かは訪れる身体の衰えや飛躍しますが
人生の終焉
普通に会話が出来て普通に物忘れが有り自分で認知症かなぁ?と
考える人はまだまだ大丈夫に思えます
その時がいつ訪れるかは神様だけがご存知の事ですので
現状維持で生活できていれば大変喜ばしい事と思われます
私がお世話になっている或る医療機関の事務を担当している
女性は何時も顔を合わせると
sumikoさんご自分で街中へ出てこれてご自宅へ帰れるのは
健康な証拠です と言います
彼女の祖母は何処へ出掛けるにも保護が必要で全く自分では
何もできないと言います
日常は彼女の母親が全てサポート役に回り何処へでも付いて
行くと話します
最近では家族の顔もまだら暈けで情けない状況と言います
誰もが何時かは経験する老いの姿ですが出来れば老いても
自立して暮らしたいと願わずには居れません
もう友達が逝った事は考えない事にしました
自分の健康の事を考えて寝たきりにならない様な生活の
工夫をしたいと思いました
知り合いと時々会い世間話に花を咲かせ脳を活性化し
毎日良く歩き足腰を丈夫にする事を考えました
寒さの真っ最中時には風引きの状況の時も有りますが
そんな時は無理をせず体力を温存し回復を待ちます
実際の所低体温症で悩んでいた私ですが或る医師の勧めで
一日決められた距離を歩き低体温を克服したいと考え
いま取り組んでいる最中です
幸いな事に毎日決められた距離を歩いても膝や腰が痛いと
思う事は有りません
思えば大変恵まれています
同じ年の友達は膝が痛くて一人では外出出来ません
家の中ばかりの生活は却ってストレスがたまりそうです
例えばの話 昔の街並みと今とでは少なからず変化が有ります
その変化を見つめながら歩くのも不思議と楽しさが有ります
きっと変化を見つけた時の私の脳は活性化しているに違いたいと
思いたくなります
他愛もない自己満足に過ぎませんがこの他愛もない事が有る意味
私の健康を支えていると考えます
年が改まって早くも10日以上となりました
年末気持ちだけが空回りしてやらなくてはならない事も
全くお座なりの状態で過ぎてしまいました
何の事も無い普通の事柄が最近は怠けてしまいます
先ず健康に生きる事が肝心と思う様になりました
自治会の女性たちの様子を見て骨粗鬆症に悩む人や
循環機能が著しく低下している人色々です
毎日が家の中でTvがお友達の人が多いのです
足が痛い・腰が痛いは挨拶代わりに成りつつあります
最近はどの家もかっての様な食べ物に困る時代では無くなりました
栄養面についても充分気を付ける事が出来る時代となっています
どの家庭もそれ程食べ物に格差が有るとは思えません
それでも各々の体質に依って足や腰が痛むように
なって行くのかなぁと考えてしまいます
自宅の畳の縁に躓き転倒し大腿骨を骨折した人もあります
整形外科病院へ3ヶ月以上入院治療した人も知っています
入院すれば一時は寝たきりの状態になり当然の事ですが
筋力は落ちてしまいます
中高年の女性が一度大きな骨折事故をすると大変苦労します
苦労している間はまだ生きていると言う証拠なので安心です
新年になって同級生のご主人から挨拶状が届きました
それは同級生が昨年12月に永眠したとの挨拶状でした
信じ難い知らせに一時はその葉書を呆然と見つめてしまいました
暫く前に街中のデパートの出入り口で彼女を見かけました
その折声を掛ければ良かったのに黙って後姿を見送りました
その後クラス会にも欠席していた事を思い出しました
彼女は女の子二人の母親でした
長女は養子縁組をした男性と結婚平穏な生活をしていました
所がお孫さんが小学校低学年の頃長女の人は若くして
くも膜下出血で急逝してしまいました
それ以後一家のまとめ役としてお孫さん達の面倒を
見なくてはならなくなり身体的に辛い主婦業に戻りました
長女の代役として毎日が大変だったようです
随分前のクラス会に出席した折2度目の主婦業の話を
困惑した様子で話していました
何時も一番豪華なアクセサリーを身に着け輝いていた人です
それが長女を失ってから心身ともに疲れて以前の様な優雅で
穏やかさは消えて居ました
今から思えば長女を送ってしまいその痛手が尾を引いていたと
思えてなりませんでした
同年代で一緒に学んだ仲間として何時の間にか一人二人と
生涯を閉じて行く事を考えると生きて明日が有る事に
感謝をしなくてはなりません
生まれたら必ず何時かはこの世から去る日が来ます
これは必ず訪れる宿命ですから受け入れなくてはなりません
最後の姿がどの様な姿で居られるのか?それは今も判りません
少なくとも寝たきりの状態が長く続くような事は回避したいと
思いを巡らしています
生まれて以来多くの人と関りを持ちながらの暮らしでしたが
余り訃報は聞きたくない心境です
それは誰もが何時かは訪れる身体の衰えや飛躍しますが
人生の終焉
普通に会話が出来て普通に物忘れが有り自分で認知症かなぁ?と
考える人はまだまだ大丈夫に思えます
その時がいつ訪れるかは神様だけがご存知の事ですので
現状維持で生活できていれば大変喜ばしい事と思われます
私がお世話になっている或る医療機関の事務を担当している
女性は何時も顔を合わせると
sumikoさんご自分で街中へ出てこれてご自宅へ帰れるのは
健康な証拠です と言います
彼女の祖母は何処へ出掛けるにも保護が必要で全く自分では
何もできないと言います
日常は彼女の母親が全てサポート役に回り何処へでも付いて
行くと話します
最近では家族の顔もまだら暈けで情けない状況と言います
誰もが何時かは経験する老いの姿ですが出来れば老いても
自立して暮らしたいと願わずには居れません
もう友達が逝った事は考えない事にしました
自分の健康の事を考えて寝たきりにならない様な生活の
工夫をしたいと思いました
知り合いと時々会い世間話に花を咲かせ脳を活性化し
毎日良く歩き足腰を丈夫にする事を考えました
寒さの真っ最中時には風引きの状況の時も有りますが
そんな時は無理をせず体力を温存し回復を待ちます
実際の所低体温症で悩んでいた私ですが或る医師の勧めで
一日決められた距離を歩き低体温を克服したいと考え
いま取り組んでいる最中です
幸いな事に毎日決められた距離を歩いても膝や腰が痛いと
思う事は有りません
思えば大変恵まれています
同じ年の友達は膝が痛くて一人では外出出来ません
家の中ばかりの生活は却ってストレスがたまりそうです
例えばの話 昔の街並みと今とでは少なからず変化が有ります
その変化を見つめながら歩くのも不思議と楽しさが有ります
きっと変化を見つけた時の私の脳は活性化しているに違いたいと
思いたくなります
他愛もない自己満足に過ぎませんがこの他愛もない事が有る意味
私の健康を支えていると考えます