2011年3月11日、あの日から今日で「四年」が経過します。
私はあの時自宅に居ましたが遠く離れた「東北地方」で大地震が
発生と速報が入り自宅も相当揺れた為恐怖が走りました。
今は情報化社会となり、大地震の次に「津波」が来る事も予測し
地震の後間もなく「大津波」が起こり目を疑う様な惨状に驚きました。
広範囲にわたる地震の被害と、大津波の荒れ狂う様子はこの世の
事とは思えない気持ちでTvからの情報を釘付けて見ていました。




025-h_500



多数の方々が地震や津波の犠牲になり、心が痛みました。
何時、何処でこうした地震が起きても「おかしくない」と言われています。
「阪神淡路大震災」の時も「地震」の恐ろしさを味わったばかりです。
「地震国日本」とは言うものの、地震は発生して欲しくないです。
「阪神淡路大震災」の時も被害の大きさに驚くばかりでしたが幸い
あの時は「大津波」は来て居ません。

災害が甚大で有る事が次第に判明して、遠くに住む私達は復興の
為の「義捐金」を送る位の事しか何も出来ませんでした。
もう少し若ければ「ボランティア」として現地にお手伝いに出掛けたと
思いますが、それは却ってご迷惑になりかねません。
知り合いの男性は、費用を負担して名古屋からバスを借り切り
グループで災害地へお手伝いに行きました。

彼から聞いた事として「素人が行くものじゃありません」と。
その頃は既に自衛隊の人達が救援に来ており、炊き出しの
手伝いをしただけで名古屋へ戻ったと言いました。
私は「手伝いに行こう」と、現地まで出掛けた彼の純粋さに感心しました。
年齢が若くて体力も有る人達は「お手伝い」に出掛けても必要と
されますが体力的に劣る私達では何ともなりません。

色々な所から「義捐金」の要請が来ました。
当然「お手伝い」に出掛けられない私は、僅かでも協力して来ました。
「四年」経過しても未だ完全な復興とは言えず被災された人達の
苦悩が伝わって来ます。
「原発」の事はどうなって行くのだろう?!
住み慣れた土地から追い出され、放射能漏れの為に甚大な被害です。

気が遠くなる年月の掛かる「原発」問題。
どの様にして解決に導くことが出来るのか?不安が一杯です。
日本人はどんなに辛くても、苦しくても耐える能力を持っています。
どさくさに紛れて「暴動」等が起きなかった事がその証拠かと思いました。
消える事が無い心の痛みは、きっと生きている限り続くでしょう。
でも、何もかも失って「一人きり」になった人でも生きる努力を
怠りません。

まだ行方不明の方が居られる様ですがお気の毒に思います。

今日は一日「鎮魂の日」として過ごそうと思って居ます。





8893c0ab.gif