川柳の講師として3年以上同じ講師の先生から色々「作句」について
苦労話を聞かせて頂いています。
私達が「川柳」の作句に取り組む場合、平凡で単に言葉を並べただけの
事になりがちです。
それでも「5.7.5」の17文字に苦戦をしながら取り組んでいますが
当然の事ですが何時も「没」の講評が続きます。
今年も咲き出したクレマチス。↓↓↓

先生は作句に当たりご自分のご家族の事についてその言葉を
織り込む時「何度も奥様を殺したか判らない」と仰います。
出尽くした作品の中で、自分なりの目新しい表現をしたいと思えば
奥さんを「病死」した事にしたり色々な場合が有るそうです。
実際ではそんなに何度も病死されたり、別れが有ったりはしないのですが
作品を創作する上で「病死」や「大怪我」などはフィクションとして盛り込んでも
構わないそうです。
作句でも何でもありません、何時もの固定電話への電話です。
学生時代に何処かで住所録に記したのでしょう。
息子を電話口へ「出して欲しい、奥様でも構いません」と言い出しました。
禄でもない内容の事柄の電話だと思い、川柳の先生の「作句」では
有りませんが「息子はもう、居ませんから・・・」と伝えました。
相手は「居ませんから・・・」と言う言葉をどのように解釈したかは
判りませんが「あっ、大変失礼しました」と言って電話を切りました。
私は「もう居ませんから・・・」と言ったのですが相手は「亡くなった」とでも
解釈したのでしょうか。
それで、電話の相手をするまでも無く僅かな時間で電話は終わりました。
「もう、居ませんから」と言う言葉は如何様にも解釈が出来る言葉です。
言葉の上で息子を「殺した」訳でも有りませんし、電話の取次ぎを
拒否する時には、暫くはこの言葉で通せそうな気がしました。
古い住所録が何時までも使われる事が不思議な気がします。
ふと、川柳の先生の「何度殺したか判らない・・・」と言う言葉を思い出し
「言葉は遣い様かな?」とも感じました。
その点次男は何処にも住所録らしい物を残して居ないのか、次男には
電話は掛かりません。
これも不思議な事です。
苦労話を聞かせて頂いています。
私達が「川柳」の作句に取り組む場合、平凡で単に言葉を並べただけの
事になりがちです。
それでも「5.7.5」の17文字に苦戦をしながら取り組んでいますが
当然の事ですが何時も「没」の講評が続きます。
今年も咲き出したクレマチス。↓↓↓

先生は作句に当たりご自分のご家族の事についてその言葉を
織り込む時「何度も奥様を殺したか判らない」と仰います。
出尽くした作品の中で、自分なりの目新しい表現をしたいと思えば
奥さんを「病死」した事にしたり色々な場合が有るそうです。
実際ではそんなに何度も病死されたり、別れが有ったりはしないのですが
作品を創作する上で「病死」や「大怪我」などはフィクションとして盛り込んでも
構わないそうです。
作句でも何でもありません、何時もの固定電話への電話です。
学生時代に何処かで住所録に記したのでしょう。
息子を電話口へ「出して欲しい、奥様でも構いません」と言い出しました。
禄でもない内容の事柄の電話だと思い、川柳の先生の「作句」では
有りませんが「息子はもう、居ませんから・・・」と伝えました。
相手は「居ませんから・・・」と言う言葉をどのように解釈したかは
判りませんが「あっ、大変失礼しました」と言って電話を切りました。
私は「もう居ませんから・・・」と言ったのですが相手は「亡くなった」とでも
解釈したのでしょうか。
それで、電話の相手をするまでも無く僅かな時間で電話は終わりました。
「もう、居ませんから」と言う言葉は如何様にも解釈が出来る言葉です。
言葉の上で息子を「殺した」訳でも有りませんし、電話の取次ぎを
拒否する時には、暫くはこの言葉で通せそうな気がしました。
古い住所録が何時までも使われる事が不思議な気がします。
ふと、川柳の先生の「何度殺したか判らない・・・」と言う言葉を思い出し
「言葉は遣い様かな?」とも感じました。
その点次男は何処にも住所録らしい物を残して居ないのか、次男には
電話は掛かりません。
これも不思議な事です。
