何時も顔見知りの男性に「ランの館」で会います。
会う、と言っても彼はアトリュームの中の展示中の蘭を写生に
来ているのです。
顔は知っているけれど、お互い名前も知りません。
ランの館へは、私も蘭の撮影や庭園に咲く季節の花や植物を
観察しては撮影しています。
顔見知りと言うだけで、お互い「こんにちは・・・」
「もう、済みましたか?」と言った言葉位しか話しません。
でも、先日彼のほうから、生まれた年を言い出しました。


デンドロビューム



亡くなった私の弟と同じ年齢です。
若くして亡くなった弟も、元気でいたとしたら、この男性の様に
ナイスミドルになっていただろうと、感慨も一入でした。
「元気でいれば・・」の話ですが、きっと良い相談相手に
なってくれたと思っています。

元気で生きていたら・・・、どんな人生を歩んだのだろう?と
儚く逝った弟への思いは色々出てきます。

その顔見知りだけの男性も、穏やかな人柄でとても静かな
話しぶりをする人です。
何故、彼は花のスケッチに頻繁に来るかと言えば
それは彼の人生の選択肢にありました。
達観したかのように静かに語り始めた事は
「妻とはお互い人格を尊重して、夫々の道を歩む事にしたのです。。。」と。

それは、簡単に言ってしまえば「離婚」した事でした。
でも、今が一番「幸せ」とも言います。
人には夫々生きる為の道を選ぶ権利が有ります。
それ以上の話は私も聞きだせません。
これからが、本当の夫婦として充実した日々を過ごせるのでは?と
第三者の私は思わないでも有りませんでした。

彼を見ると、同じ年の弟の事を思います。
短い人生も、全て神仏の思し召しと思い、遠い日の弟の
面影を追い続けています。