今日8月30日は私の誕生日です。
自分自身でも格別な事は何もしません。
無事今年も誕生日が迎えられた事への感謝を生んで貰った両親や
ご先祖に感謝を捧げる日です。
何度目の誕生日かは謎の又謎と言う事にしておきます。
今は新生児として誕生すると生まれた時の体重や身長は「?」や「cm」で
表示しています。
尺・貫法は昭和30年代初頭まで使われていたと記憶しています。
私は祖父母から良く言われた言葉として
「600匁しか無かった!!」と。
母の実家で生まれた私を初めて見る「初孫」が余りにも
小さかったので驚いたと言っていました。
600匁とは今で言えば「未熟児」の領域です。
計算してみたら僅か「2250g」
しかない小さな赤ん坊だったのです。
祖父母はとても心配をしたと、後年私に聞かせました。
その後生まれた妹や弟は普通の体重で生まれてきました。
その時の祖父母の言葉も忘れられません。
『みいちゃん、お手柄だったなぁ!!』と母を労っていました。
特に弟が生まれた時などは、祖父母の喜び方は大変なものでした。
まだまだ、男尊女卑の風潮の強い時代でしたから
男の子は『天下様』の様な扱いでしたね〜。
私が小さな赤ん坊であった事は親戚の誰もが認める事でした。
でも、小さく生まれたハンディーを、両親も必死になって
育ててくれたのでしょう。
満一歳の頃、新聞社が主催する元気な赤ちゃん?の
コンクールみたいな事があり、両親は応募しました。
その結果『健康優良児』と認定されて、新聞の紙面に
名前が発表されました。
その新聞記事は、今でも実家の『宝』として保存していて
くれます。
祖父母、両親とも今はいませんが
私と関わりのあった親族には感謝の気持ちで一杯です。
自分の誕生日に因んでそんな話を思い出しました。
自分自身でも格別な事は何もしません。
無事今年も誕生日が迎えられた事への感謝を生んで貰った両親や
ご先祖に感謝を捧げる日です。
何度目の誕生日かは謎の又謎と言う事にしておきます。
今は新生児として誕生すると生まれた時の体重や身長は「?」や「cm」で
表示しています。
尺・貫法は昭和30年代初頭まで使われていたと記憶しています。
私は祖父母から良く言われた言葉として
「600匁しか無かった!!」と。
母の実家で生まれた私を初めて見る「初孫」が余りにも
小さかったので驚いたと言っていました。
600匁とは今で言えば「未熟児」の領域です。
計算してみたら僅か「2250g」
しかない小さな赤ん坊だったのです。
祖父母はとても心配をしたと、後年私に聞かせました。
その後生まれた妹や弟は普通の体重で生まれてきました。
その時の祖父母の言葉も忘れられません。
『みいちゃん、お手柄だったなぁ!!』と母を労っていました。
特に弟が生まれた時などは、祖父母の喜び方は大変なものでした。
まだまだ、男尊女卑の風潮の強い時代でしたから
男の子は『天下様』の様な扱いでしたね〜。
私が小さな赤ん坊であった事は親戚の誰もが認める事でした。
でも、小さく生まれたハンディーを、両親も必死になって
育ててくれたのでしょう。
満一歳の頃、新聞社が主催する元気な赤ちゃん?の
コンクールみたいな事があり、両親は応募しました。
その結果『健康優良児』と認定されて、新聞の紙面に
名前が発表されました。
その新聞記事は、今でも実家の『宝』として保存していて
くれます。
祖父母、両親とも今はいませんが
私と関わりのあった親族には感謝の気持ちで一杯です。
自分の誕生日に因んでそんな話を思い出しました。