1985年8月12日。
あれから25年です。
日航ジャンボ機墜落事故の事です。
乗員・乗客524人、4人は奇跡的に救出されています。
520人の尊い命が一瞬にして消えてしまいました。
まさか!!と、耳を疑う事故の一報に愕然とした事を思い出します。
事故を起こしたJALの機体は、事故の7年前に大阪「伊丹空港」で
離陸の際に機体の後部を滑走路に接触、所謂「尻もち事故」を
起こしていました。
その際に機体後部の圧力隔壁を破損しました。
その後、圧力隔壁を修理したボーイング社の修理ミスにより
飛行中に圧力隔壁が破損した為垂直尾翼を失い、操縦不能の状態に
なったのが事故の原因とされています。
然し、この圧力隔壁破損説には疑問点も多いらしく、真相は
はっきりしていません。
一口に「25年」と言ってしまえばそれまでですが、25年の年月は
長く、思い出す事も辛い事故でした。
私達一般の人間でさえその様に思っていますから、この事故に
関わられた方々の苦しみと、消える事のない悲しみは
如何ばかりかとお察ししております。
この事故が発生した頃の我が家は5人家族。
たった一人航空機に搭乗していないのは、私だけでした。
何故かその頃、私は酷い車酔いに苦しんでいました。
自分でハンドル握る時は大丈夫でも、人の運転する車に
乗せて貰うと『酔ってしまい』苦労をした記憶があります。
それで、航空機は「とてもじゃないけど、乗れないなぁ〜」と
思い続けていました。
25年も前の私個人の他愛もない話です。
520名の犠牲者の方々のご冥福をお祈り致します。
あれから25年です。
日航ジャンボ機墜落事故の事です。
乗員・乗客524人、4人は奇跡的に救出されています。
520人の尊い命が一瞬にして消えてしまいました。
まさか!!と、耳を疑う事故の一報に愕然とした事を思い出します。
事故を起こしたJALの機体は、事故の7年前に大阪「伊丹空港」で
離陸の際に機体の後部を滑走路に接触、所謂「尻もち事故」を
起こしていました。
その際に機体後部の圧力隔壁を破損しました。
その後、圧力隔壁を修理したボーイング社の修理ミスにより
飛行中に圧力隔壁が破損した為垂直尾翼を失い、操縦不能の状態に
なったのが事故の原因とされています。
然し、この圧力隔壁破損説には疑問点も多いらしく、真相は
はっきりしていません。
一口に「25年」と言ってしまえばそれまでですが、25年の年月は
長く、思い出す事も辛い事故でした。
私達一般の人間でさえその様に思っていますから、この事故に
関わられた方々の苦しみと、消える事のない悲しみは
如何ばかりかとお察ししております。
この事故が発生した頃の我が家は5人家族。
たった一人航空機に搭乗していないのは、私だけでした。
何故かその頃、私は酷い車酔いに苦しんでいました。
自分でハンドル握る時は大丈夫でも、人の運転する車に
乗せて貰うと『酔ってしまい』苦労をした記憶があります。
それで、航空機は「とてもじゃないけど、乗れないなぁ〜」と
思い続けていました。
25年も前の私個人の他愛もない話です。
520名の犠牲者の方々のご冥福をお祈り致します。